東京大学史料編纂所

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岐阜・高山両市史料調査

 昭和五十一年三月十日より十一日まで、岐阜県立図書館にて郡代史料、十二日より十四日まで、高山市郷土館にて高山町会所史料などの調査を行なった。岐阜県立図書館ではすでに郷土資料目録として、『飛騨郡代高山陣屋文書』(第一集)、『美濃郡代笠松陣屋堤方役所文書』(第二集)、『明治期岐阜県庁事務文書』(第三・第四集)を刊行している。第五集よりは「図書の部」(第一〜第四)集となっており、県立図書館が蒐集した郷土資料を順次整理して目録化している。すべて架番号によって容易に出納調査することができるが、なお参考のため書庫内の架蔵状況をも見学した。
 「飛騨郡代高山陣屋文書」は約二万三千点あり、飛騨国の山林関係史料を中心としたものである。中でも御留山・巣鷹山・植木・山論などの関係史料が豊富にある。巣鷹山は八代将軍吉宗によって再興された鷹狩の鷹の供給源であり、享保期及び宝暦以降の巣鷹山史料は特に興味深い。「美濃郡代笠松陣屋堤方役所文書」は、主として元禄年間より明治後期に至る約二百年間の治水関係史料約七千四百余点から成っているが、とりわけ宝暦の治水関係史料が多く、数多の輪中、木曾川・長良川・可児川・土岐川等の名だたる河川に関する治水史料・治水関係絵図の伝存が顕著である。その中には「子年御国役堤方普請人足遠近之割符帳」のように、寛永十三年のものがあり、幕領・私領共高五十七万六千二百三十七石に人足二十五万五千六百十人が割り当てられている。また旗本領が数多く散在し、それぞれの知行所村高書附がある。「美濃国羽栗郡笠松陣屋起立之事」(寛政三年)と「笠松陣屋御郡代名順姓名書」(文化七年)は美濃郡代陣屋の起原及び郡代の歴代を知る上に参考となる。その他、勘定奉行宛に差出された伺書類として「美濃飛騨越前証文留写」(享保六〜明和三年)一冊、「見合諸証文類」(享和三〜文化十二年)などがあり、また享保十二年以後の役所日記や宝暦十一年以後の御用留も大量に伝存されているので、支配地の民政・産業などの変遷を究明する便に恵まれている。
 明治期のものには輪中より水利組合にいたる間の史料が数多現存する。「明治期岐阜県庁事務文書」中には「旗本旧知村々明細帳」(慶応四・明治元・三年)等があり、維新前後の史料として重要である。
 高山市郷土館(高山市上一之町)には、高山町会所より移管されたもの、及び高山市史編纂主任・岐阜県史蹟調査委員であった故角竹喜登氏蒐集の史料があり、これらは部分的に『高山市史』上・下二巻(昭和廿七・廿八年刊)に利用されているが、目下整理中で、目録は完成していない。しかし引継の目録が備わっているので便利であり、文書は検地・戸籍人口・地籍・租税・営繕・民事刑事・出納・賄・地検・経費・史料・交通巡見・廻状留・天災組図・絵図・諸職業・賑恤・貯夫食囲穀・布告その他に大別分類され、三十二箇の箪笥引出しに収蔵されている。総点数はあきらかでない。
 検地水帳の部類には「元禄八年飛騨国大野郡灘郷高山二之町屋鋪御検地水帳写安永三年新田書入」があり、これには明治四年十二月・同六年五月に貼重ねた貼紙がある。戸籍人口の部類には「文化八年より高山壱之町村増減帳」があり、竃数九百四拾八、家数五百三拾軒、人別三千四百六拾五人が記されている。「寛政元年五月覚帳 差出明細帳(扣)」は、役高・酒造冥加永・水車・古城跡をはじめ詳細に書出され、当時の高山の状況を知るに便利である。「町会所日記」は文化十四年より明治十年まで六十二冊が現存している。「願書留」は文政十年より明治四年までの四十八冊が現存する。
 営繕の部類には町会所・橋・埋葬地などの普請関係、賄には役人への接待記録、諸職業には、酒造株・蚕種鑑札・大工仲間・灯油買入売上勘定帳・質屋取調などの史料、交通巡見には天保九年閏四月設楽甚十郎等一行の一件記録、史料の部類には「寛政九年旅人宿取調帳」などが含まれ、絵図には明治初期のものが多い。要するに、この郷土館史料は江戸時代の町制・経済等の研究にとって、きわめて重要な史料とみなしうる。なお陳列中の史料には、慶長十八年三月の金森可重寄進状(国分寺宛)と三木自綱書状(塩屋筑前守宛、四月晦日付)があった。
 この調査は、特殊研究「江戸幕府史料の調査研究」の目的を以て実施したものである。(阿部善雄・加藤秀幸)


『東京大学史料編纂所報』第11号p.73