大日本近世史料「諸問屋再興調十四」

本巻は旧幕引継書類のうち「諸間屋再興調」廿二の後半および同廿三・廿四を収めた。この再興調もあと僅少を残すだけで、第十五巻は残りの同廿五と総索引をもって構成する予定である。本巻には再興調廿二の残り五六通、同廿三の一〇通、同廿四の九〇通、合計一五六通を収めている。はじめの五六通は薬種問屋と朝鮮人参払下との関係にかかわる史料と同問屋の再興手続に関する史料が主要なもので、吹上役所産出のものの払下については、再興後に大伝馬町組・本町組の両組問屋から人参捌方世話人が出て行事とともに処理することを決めている。これら官物の人参に対して、文化ごろには商品としての朝鮮人参も流通するようになり、官物との対抗関係が窺える史料も散見するのは興味深い。また払下にさいしては貧乏人も購入しうるよう配慮すべきことを幕府は度々注意を与えている。
 再興調廿三はすべて湯屋関係のものである。ここでは新規湯屋の経営許可に関する申渡、湯銭に関する安永六・七年、天明元年の口上などのほかに、風俗上いかがわしい薬湯が広く江戸市中に現われるようになった模様を示す史料が収められているが、当時は銭湯利用者の気風として、湯銭か八文ならば六文ですませてよいのだと考える傾向があった模様である。再興調廿四は浅草御蔵前通りの床店の再興に関する一件書類である。従来、浅草・本所の御蔵入用は、蔵前通りに商床を経営することを許可し、その地代金をもって充てることにしてきたが、天保十二年にはそれらの撤去を命じた。しかしやがて安政六年ごろには一三〇余軒が現われるようになり、むしろこうなっては、取締上も消防上も請負地に指定したほうがよいという政策が打ち出されるに至った。そこで床店地請負の出願者を募り、また定尺通りの床店普請を実施せしめるとともに、諸取締規則を定めた。もはやすでに文久期に及んでいた。
(例言・目次一七頁、本文三〇五頁)
担当者 阿部善雄・長谷川成一

『東京大学史料編纂所報』第11号 p.26*