大日本近世史料「編脩地誌備用典籍解題四」

本冊には、前冊にひきつづき別紀第十四から第十七まで、原本四冊分を収めた。
本冊に収録した部は、北陸道・山陰道・山陽道・南海道の四道、二十九ヶ国であって、地誌・絵図の点数は左の通りである。
北陸道五点、若狭七点(内、図一点)、越前九点(内、図一点)、加賀三点(内、図一点)、能登(国の名義のみ)、越中三点(内、図一点)、越後十三点(内、図四点)、佐渡二十四点(内、図五点)、山陰道(道の名義のみ)、丹波六点(内、図二点)、丹後五点(内、図三点)、但馬四点(内、図一点)、因幡四点、伯耆二点、出雲十四点(内、図三点)、石見七点(内、図二点)、隠岐四点(内、図一点)、山陽道一点、播磨二十一点(内、図三点)、美作五点(内、図一点)、備前六点(内、図一点)、備中五点(内、図一点)、備後五点、安芸十二点(内、図三点)、周防一点(内、図一点)、長門三点、南海道三点(内、図一点)、紀伊二十一点(内、図二点)、淡路三点、阿波(国の名義のみ)、讃岐九点、伊予三点(内、図一点)、土佐八点。合計二百十五点(内、図三十九点)。
本冊で注目される点は、能登・阿波両国と山陰道に関するものが一点も記載されていないことである。周防国は「防州岩国錦帯橋図」一鋪を収めるにすぎない。これは学問所における蒐集が充分でなかったのか、不分明な点であるが、前冊に収録した東山道八ケ国だけで合計百七十八点を数えるのであるから、数量の上からだけ云えば、北陸道以西は総じて少ないと云えよう。
この中で、藩命により記述編集された地誌としては、稲庭正義の「若狭国志」、有馬純方の「古今類聚越前国誌」、古川茂正の「丹波志」、桜井良翰の「但馬考」、黒沢長尚の「雲陽志」、吉田豊功等による「福山志料」、吉田利国・日野所介の「鞆浦志」等が注目される。なお「若狭国志」には、「按るに、此書漢文にて編をなす、文章考拠体裁の明確便覧、他の風土記等の書と豈同日の論ならん、書中郡村の名、倭読容易ならさる所は仮名をもて読やすからしむ、これ是書のもって善と称する所なり、」と記し、また「古今類聚越前国志」には、「案するに、此書蒐羅周密、考證明確、本州の典故において漏するものなきか如し、且体例明一統志に傚ふといへとも模擬を以て意となさす、北陸の地志是書を最第一となすへし、」と記して賛辞を呈している。そこにまた編脩者達の見識を窺うことも出来よう。
担当者 杉山博・山口静子・鈴木圭吾
(例言一頁、目次六頁、本文三四六頁)

『東京大学史料編纂所報』第11号 p.27*