日本関係海外史料「オランダ商館長日記譯文編之二(上)」

日本関係海外史料の刊行の趣旨、その最初の収載史料である『オランダ商館長日記』の概要については、『所報』第九号の九七頁に記したので重複を避ける。
 本冊は、その第三冊、譯文編之二(上)(自寛永十二年十一月、至寛永十四年一月)として、第八代商館長ニコラース・クーケバッケル在職期間中の公務日記の第二の部分、原文編之二所収の一六三六年一月一日より一六三七年八月八日に及ぶ二〇か月の記事の前半、一六三七年一月三十一日までの翻訳を収める。すなわち、鎖国の形成過程で、オランダ商人が、ポルトガル商人・日本商人との対抗を克服して対日貿易における優位を確立していく姿がつぎのような順序で描かれている。
 クーケバッケルが一六三六年度の日記を書き始めるころ、上級商務員ハーヘナールは前年の貿易再開を謝し、かつ前タイオワン長官の釈放を願うため江戸への旅行の途上にあった。その旅行記は本冊の巻末に添えた。二月にはクーケバッケルは上級商務員カロンに館務を托してラーロップ号でバタフィアに向かうので日記の筆者はカロンに変わる。カロンはさらに下級商務員ファン・エルセラックに留守を命じて江戸に出て松浦隆信・榊原職直の斡旋で、五箇所商人の要求を斥け、かつ将軍家光との謁見と銅製シャンデリアの献上に成功し、平戸帰着後になったが、ヌイツ釈放の好報を得た。八月末にはクーケバッケルが新総督ファン・ディーメンにより再任されて平戸に帰着した。この間江戸に派遣されていた商務助手レイニールセンも帰着し、さらに十月には上級商務員ファン・ザーネンが江戸に派遣され、一六三七年一月三十一日に平戸に帰着したが、この日付のもとに両人の江戸滞在日記(一八五〜二〇二頁)が収められている。
 この叢書で『大日本史料』欧文材料の場合とちがって、訳述と割註には口語文(正字、新かな)を採用したことは、本所としては画期的なことであろう。
 諸般の事情により刊行順序に変更があったため、昭和五十年三月付で「『日本関係海外史料』譯文編の刊行に当って」と題する葉子を折込み、本来譯文編之一の巻頭に掲ぐべき例言の、とりわけ譯文編の編纂上採用すべき準則を抜萃した。本書の利用者にとっても必要と思われるので、その一部を左に抄録しておく。
一、翻訳に当っては、話法上、時制上、努めて原文の文脈に従い、意訳を避けた。特に対話や書翰の引用文では、原文のもつ話法を忠実に移し、敢えて人称代名詞の読み変えを行わず、そのため必要に応じて割註を施して文意の明確さを保った。皇帝陛下、閣下、貴下などの尊称も総べて原文に従った。
一、平戸・長崎・大坂・江戸以外の地名と、総べての人名とは、原文の綴字に従って片仮名を以て表記し、必要に応じて、原綴を傍証し、相当する邦字を割註により示した。品名は、努めて慣用のある和名・漢名を以て訳出し、それ以外の場合のみ原綴に従って片仮名を以て表記した。
一、訳文中に文意を明確にするため編纂者が補入した字句には総べて〔 〕の記号を施した。但し動詞の機能上原文に明示されていなくとも判別できる主語を補入した場合は、この限りでない。
なお、原文の丁替りは、訳文では厳密な位置を定めがたいので、大凡の位置の欄外にのみこれを註記し、欄外の標出事項は文語体として簡潔に必要事項を明示することとした。
本冊の翻訳は金井が行い、永積洋子訳『平戸オランダ商館の日記』第三巻(岩波書店刊)二九七〜四二八頁を参照した。
(例言二頁、目次二頁、本文二〇二頁、図版一葉、ほかに原文編之二の正誤表三頁添付)
担当者 金井圓・加藤榮一

『東京大学史料編纂所報』第10号 p.41*