東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本近世史料 市中取締類集十一

 「市中取締類集十一 河岸地調之部一」には、国会図書館所蔵の江戸町奉行所引継書類に含まれる河岸地調之部八冊の内、一及び二を収めた。一には「町々河岸地冥加金上納申付候一件」のほか八件、二には「御府内河岸地古復之儀懸より伺書」ほか一五件の伺書・掛合書・上申書・達書など一〇四通の書類がそれぞれ一括整理されている。
 幕府は天保改革において綱紀粛正・江戸市中取締強化の一環として、河岸地の再点検を実施しているが、河岸地そのものは道路と同様幕府の所有地でありながら、河岸通の町家はその地先の河岸地を荷揚場とし、あるいはそこに土蔵や納屋を作って荷物置場に使用していた。幕府は河岸地使用者から相当の冥加金を取り、そこで火焚・高積をおこなうことを厳禁し、河岸地使用に対してきびしい統制を加えてきた。
 右の性格をもつ河岸地について、改革の主導者である老中水野忠邦は、天保十三年町奉行に調査を命じた。本冊の一では、既に文政七年に実施した河岸地冥加金上納についての調査報告をはじめとして、天保度の調査以後に現出した河岸地内住居者の問題、河岸地に居住する非人の問題、冥加金上納の問題、堀端と河岸地における建物の書上などに関する書類をおさめた。二では、尾張徳川家が許可して町人に同家屋敷地付近の河岸地を使用させた場合の措置、浜御殿への御成りの道筋にある木挽町六丁目河岸地の小屋場(焚出所として建てた物)の管轄問題、浅草寺付近の河岸地に居住する者は寺社・町いずれの奉行の支配に属するかの問題、河岸地に在る会所地及び幸橋門外の堀端にある建物の撤去問題などに関する書類をおさめている。
 なお第一七件の中で、北町奉行遠山景元は南町奉行鳥居忠耀に宛てた書状の中で、「河岸地之儀は別段伺済にも無之、(中略)貴様方にて御取調有之候様存侯」と述べており、河岸地及び堀端の調査は、南町奉行へ一任し、向方より掛合があった場合にのみ、協力をするという立場をとっている。したがって河岸地の調査は南町奉行鳥居が自ら実施したのであるが、周知の如く鳥居は時の老中水野忠邦の懐刀といわれるほどの権勢の持主であった。その彼に水野が河岸地調査を命じたということは、天保改革において、いかに江戸行政及び市中取締が重視されたかを窺うことができるであろう。
(例言一頁、目次二頁、本文二五六頁)
担当者 阿部善雄・長谷川成一


『東京大学史料編纂所報』第9号p.95