東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本史料 第九編之十四

 本冊には、後柏原天皇大永元年是歳、同年年末雑載および大永元年の補遺を収めている。
 是歳の条で注目される記事としては、明との勘合貿場をめぐる大内氏と細川氏の主導権争いを背景として、大内義興と細川高国が、薩摩国守護島津忠朝に渡唐船の警固と新造船を依頼して、島津氏の助力を求めており、大永三年四月の寧波の乱に至る両者の対立が、次第に先鋭化しつつある情勢を浮き彫りにしている。
 次に相模国早雲寺の創建については、永正十三年北条氏茂創建説などもあり、必ずしも明確ではないが、異本塔寺長帳、早雲寺記録などにより、北条氏綱が父宗瑞の遺言により、大徳寺の以天宗清を開山として創建したものとする説を根拠として、しばらく是歳に収めている。
 このほか尾張守護斯波義達の死歿による伝記史料が収められている。
 年末雑載は天文・災異、神社、仏寺、禁中、幕府、諸家、疾病・生死、学芸・遊戯、所領、年貢・諸役、寄進、譲与、貸借、売買、訴訟、に分類して収録しているが、注目すべき史料としては、神社の条に永正十八年三月十日大和談山神社正遷宮神殿造営米結解帳、同造営銭結解帳二通がある。これは永正十七年十一月十日に行なわれた同神社正遷宮に要した造営費用の収支決算を米分と銭分に分けて詳細に記録したもので、この時代における神殿造営の実態を知り得る貴重な史料である。このうち銭分については談山神社文書に収録刊行されているが、米分については未刊のため、一般の利用に供されることがなかったが、銭分と併せて考察すれば造営の実態がより一層明らかとなり、今後の研究の深化が期待される。費用は椋橋、治道、高家、細川四ケ郷に散在する多武峰寺領と寄郷、興福寺請地領などから徴集される反銭米、奉納銭米、多武峰の寺院、坊舎、末寺などの奉加銭米、講、頼母子などの寺院金融による利益などが主たる財源となっていることがわかる。支出の面では材木、檜皮、釘、飾金物などの材料費、木工大工、檜皮大工、銅大工、鍛冶大工、塗大工、石切大工、簾大工、畳大工、絵師などに支払われた労務費、その他建築の際の諸儀式の費用および執行僧に対する謝礼などの諸経費などが主なものである。これら支出の分析により、建築の実態、職人の組織および給与、諸物価の比較など多方面の研究に利用出来るであろう。
 仏寺の条には、京都大学文学部所蔵の東寺仏事捧物支配状、田中教忠氏所蔵文書の上醍醐西谷風呂の指図などを収録しているが、後者はこの時代の寺院の風呂の実態をうかがい知る上に興味ある指図である。
 生死の条の死歿者としては、三宝院前執当乗秀、紀伊金剛峰寺百七十六代検校雄吟、相模専福寺開基久悦、相模東光院開山禅芳、甲斐長盛寺宗益、相模慈眼庵開祖華叟、陸奥西福寺開山岳全、相模長勝寺開基削翁、相模伝心庵開山宝岳、紀伊金剛峰寺第百七十七代検校任誉、安房誕生寺日義、本願寺兼寿の子康兼、摂津大念仏寺道由、日光山権別当昌顕、安芸宮庄経友、上野横瀬国経、三河由良光兼、鷲尾隆康の伯父筑後守久親、美濃金丸直嗣、近江山村家重、大隅佐多忠和、下野千本資家、紀伊和合院秀雅、播磨武田義虎、出羽和田伊賀、美濃加々野江盛康、相模徳翁寺開基上杉乗国、細川澄之の妻、下総大須賀直朝、幕府申次種村視久、信濃内山美作守、下野野口宗之、安芸粟屋元好、美濃妻木頼範、下総原玄意、近江河瀬祐綱、相模竜栖寺開基板倉新次郎、美濃岩手信忠、常陸手綱城主大塚信濃守、美濃斎藤利胤、陸奥熊谷朝明、近江浅井清政、美濃河野通宣、近江朽木高親、信濃深志城主島立貞政などがある。
 年貢・諸役の条には、東寺新寄進田年貢米支配状、東寺浮足方年貢米算用状、備中新見荘年貢代支配状、山城久世上下荘年貢米算用状、山城上久世荘公事銭算用状、丹波和智下荘麦地子桑代細帳などを収録している。
 補遺には「正月二十八日、遠江守護今川氏親、遠江玖延寺ニ禁制ヲ掲グ」「八月十日、対馬宗盛次、対馬洞淋寺ニ、畠二町ヲ寄進ス」「十月三日、山城金光院良秀、同国小野買得地ノコトニ就キ、綸旨ヲ下サレンコトヲ請フ、是日、勅許セラル」「十月二十二日、豊前守護大内義興、滝貞某ヲシテ、豊前上津布佐荘滝貞名済銭内壱貫文ヲ永代扶持セシム」「十二月三日、山城戒光寺地巷所ニ就キ、綸旨ヲ下サル」「十二月十四日、豊前・筑前守護大内義興、.宇佐八幡宮領ニ、間別役ヲ免除ス」などの史料を収録している。
 なお本冊の校正には小泉宜右、今泉淑夫氏の助力を受けた。
(目次三頁、補遺目次一頁、本文五四九頁、補遺八頁)
担当者 杉山博・瀬野精一郎・桑山浩然
  


『東京大学史料編纂所報』第7号p.38