東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本古文書 家わけ第十九 醍醐寺文書之六

本冊は、五にひきつづき、醍醐寺文書第八函の後半、第九函、第十函の前半、合せて二四六点の文書を収める。文書の排列は既に整理せられたる順に従い、編年等の方法をとらない。
各函は既刊・未刊の他の大部分の函と同様、特にきわだった特徴をもたず、概していえば、各函とも極めて雑多な内容をもち、その年次も中世初期より近世後期に及ぶ(第一〇九八号文書には平安期に属するもの四点を収める)。
個別文書についての解説はもとよりこれを略すが、編者の個人的興味に従い、二、三の文書を紹介しておく。冒頭の第一〇三五−七号文書は、憲淳以後道順・隆勝の両派に分裂した三宝院流が、南北両朝の対立にからまってさらにその抗争を激化した際における、法流・聖教の争奪に関する文書であるが、ついに年次・筆者ともに確定することを得なかった。第一二四四−一二五六、及び第一二七三号文書は、いわゆる正平の一統にあたって、南朝より釈迦院等の安堵を認められんために奔走する報恩院隆舜、これをうけた北畠親房等の一連文書であり、既に大日本史料六編之十六によって、その多くは紹介されているが、本冊によってはじめて印版に付されたもの数点を含む。第一二八六・七及び第一二九二号文書は、量的に乏しい飛騨国に属する文書で、応永年間におけるいわゆる飛騨国司姉小路伊綱の乱についての記事等を載せる。
(目次二一頁、本文三〇〇頁)
担当者、笠松宏至。


『東京大学史料編纂所報』第4号p.79