東京大学史料編纂所

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所報―刊行物紹介

大日本古記録 殿暦 三

 殿暦は、関白藤原忠実(一〇七八−一一六二)の日記で、また「知足院関白記」とも呼ばれる。
 自筆原本は現存せず、文永四年(一二六七)頃、近衛基平が、家司等と共に書写した古写本二十二冊が、京都陽明文庫に在る。所収年代は、承徳二年(一〇九八)より天永元年(一一一八)までで、本所に於いては、この古写本を底本として、左記の五冊に分けて刊行中の第三冊である。
 一、承徳二年正月〜長治元年六月
 二、長治元年七月〜天仁元年十二月
 三、天仁二年正月〜天永三年十二月
 四、永久元年正月〜永久四年十二月
 五、永久五年正月〜元永元年十二月
 本書は、彼の三十二才から三十五才までの間の日記を収める。内容は朝儀典礼に関する記事が多いが、源義家の嫡男義忠の殺害事件に関連して源義綱追捕についての詳細な記事(天仁二年二月六日・十六日・十七日・十八日・二十九日)、白河法皇の武者御覧(同年十一月十一日)、出羽守源光国の忠実領寒河江庄侵略(天永元年三月二十七日)、陸奥住人藤原清衡の忠実への貢馬(天永二年十月二十八日・十一月三日・同三年十月十六日)、源明国の忠実領美濃庄における源為義郎党殺害事件(天永二年十一月四日・七日・八日・二十日・二十一日)など、武士に関する記事がみられ、天仁二年八月十七日忠実が摂政後最初の賀茂社詣には、扈従の公卿諸大夫等二百余人に達し、「只依院御恩、如此人々多来也」と感激している。後年泰子入内問題で法皇の勘気をうけて宇治に隠退するが如き気配は少しもみられず、本書の全巻を通じて、法皇と忠実との関係が頗る円滑であることがうかがわれ、甚だ興味深い。
本書は桃裕行・竹内理三・山中裕・近衛通隆が担当した。
 (目次一頁、本文二九三頁、岩波書店発行)


『東京大学史料編纂所報』第1号p.30