『世阿弥』

今泉淑夫
出版社:吉川弘文館
発行:2009年3月
ISBN:9784642052504
価格:¥2205 (本体¥2100+税)

一つにまとめる芸の華

 抜群である。これまでの世阿弥論とは明らかに一線を画する。特色は二つ。まず見方をがらっと転換し、ついで思想を
ぐいっと抉(えぐ)り出す。

 世阿弥がいつ、どこで没したかは不明だが、晩年には佐渡に流されていた。なぜ? 国文学は理由を探し求めたが答
えを見出せない。ここで著者は「流された」世阿弥から、「流した」足利義教に視点を変える。独裁を敢行した六代将軍
義教の治世と世相を分析し、秀吉と利休にも似た、権力者と芸能者のともに一歩も譲れぬ葛藤(かっとう)を活写した。
室町中期を対象とする地道な歴史編纂(へんさん)に従事してきた著者ならではの手法であり、三代義満から義教に
至る時流と併せ捉(とら)えることで、世阿弥の生涯は鮮明に立ち上がる。

 『井筒(いづつ)』など世阿弥の全作品と『風姿花伝』など全芸能論が列挙され、珠玉の解説が記された(観能ガイドと
して最適)後に、能楽の核心の探求が始まる。演能に対して義満の時期には賛嘆一方だったものが、次の義持の代に
は批評の精神が台頭する。禅宗が培った審美眼が作用するのだ、と著者は鋭く指摘する。禅宗は学問・芸術を包含し、
当時の知性の最先端にあった。世阿弥は禅僧と交わって思考法を体得し、自身の芸能に援用していく……。なるほど、
それだけで十分に新鮮で説得的だが、本書は更に進み、ピンポイントでの捕捉へと踏み込んでいく。

 分析を進めると、世阿弥が私淑したのは東福寺の岐陽方秀(ぎようほうしゅう)その人であると判明する。岐陽は『維摩
経(ゆいまきょう)』を典拠として「不二(ふに)思想」を唱え、全く異なるように見える二つは元来一つであると説いた。「内
なる本質と外に表れた姿は平等であり、本体と影に分別できるものではない」。あの一休さんにも多大な影響を与えたこ
の考えは、世阿弥を魅了した。彼の芸能論の芯にあるのは「不二思想」に他ならない。男が女になりきり、老人が若さを
体現し、生者が死者の想(おも)いを語る。属性が反する二者を舞いを通じて一つにする。そこに世阿弥能の「花」がある。

 ◇いまいずみ・よしお=1939年生まれ。東京大学名誉教授。著書に『日本中世禅籍の研究』『一休とは何か』など。

吉川弘文館 2100円

評・本郷和人(日本中世史家)

(2009年4月6日 読売新聞)