『警官の紋章』

佐々木譲
出版社:角川春樹事務所
発行:2008年12月
ISBN:9784758411202
価格:¥1680 (本体¥1600+税)

無名の個人が社会変える

 洞爺湖サミット警備を控え、北海道警察は政府要人や警察首脳を迎えて特別警備結団式を準備していた。式当日の2日前、
1人の巡査が拳銃を携帯したまま失踪(しっそう)する。彼の父も警察官で、2年前に謎の自殺を遂げていた。それは組織的不
正が明るみに出、北海道警察全体が震撼(しんかん)した「道警最悪の1週間」のさなかの出来事だった。「どこにでもいそうな
優男、だが芯の強さを十分に自覚している」彼、日比野伸也は父から受け継いだ「警官の紋章」にかけて何をするのか。道警
の懸命な捜索が始まる。

 夕張に生まれ、雪深い中標津町に生活した佐々木譲は北海道を舞台とする迫真の警官小説、歴史小説を多く世に問うてい
る。その名作群を貫くキーワードは、現場・物作り・素晴らしき仲間たち、であろうか。いずれの主人公も現場の叩(たた)き上
げで、靴をすり減らして情報を集め自らの手で書類の束を精査する。部下を使役し、高層ビルの一室から悠然と判断を下すキャ
リアではあり得ない。物作りへの情熱は歴史小説にも顕著で、榎本武揚・中島三郎助ら技術官僚が注目される。ベテランの警
官たちは、身体を通じて物証を構築するという意味で技術者に分類できよう。そして現場での仕事に責任と誇りをもつ彼らが
意思を通わせるとき、素晴らしき仲間が誕生する。英雄ではなく等身大の彼らこそが新局面を創造し、少しずつ社会を動かし
ていく。

 過去からの人間の営為を復元する日本史学は、いま教室で人気がない。若者を惹(ひ)きつける方策として評者は物語の重
視を訴えるが、唯物史観に軸足を置く歴史研究者からは、歴史は無名の民衆のものだからドラマは不要だ、と厳しく批判される。
だが著名人のみならず、各々のポジションで懸命に生きる一人ひとりにも、かくも雄弁な物語があるではないか。一片の善意や
努力や勇気が集積されれば、一時的に挫折しようと、必ずや新しい息吹となることを佐々木作品は力強く教えてくれる。

 ◇ささき・じょう=1950年、北海道生まれ。作家。90年、『エトロフ発緊急電』で日本推理作家協会賞、山本周五郎賞、
日本冒険小説協会大賞を受賞。2002年、『武揚伝』で新田次郎文学賞。他に『警官の血』など。

角川春樹事務所 1600円

評・本郷 和人

 ほんごう・かずと 1960年、東京都生まれ。日本中世史家。東京大学史料編纂所准教授。『人物を読む日本中世史』など。

(2009年2月2日 読売新聞)