『画商の「眼」力』

長谷川徳七
出版社:講談社
発行:2009年1月
ISBN:9784062149525
価格:¥1680 (本体¥1600+税)

利超える愛と審美眼

 仕事がら各所で古文書を調べる。本物か否かを判別しなくてはならないが、これが極めて難しい。何でも鑑定しますと謳(うた)う
テレビ番組は瞬く間に結論を出すが、大丈夫なのかな? ニセモノと聞いて破って棄(す)てたら実は本物だった、じゃ取り返しが
つかんぞ。まあ古文書ならまだしも、商品価値の高い美術品であれば、鑑定はより慎重に厳密になされるだろう。でもどうやって?
前々からの疑問は、本書を得て氷解した。

 著者の長谷川徳七氏は銀座の日動画廊を経営する画商である。画商は絵画の売買に従事するが、その形態や業務は多岐にわ
たり、一口には説明しがたい。ただその全ての根底には絵画への愛情と透徹した審美眼が必要だと著者は熱く訴える。あまたある
画の中に真の名作を見出し、その画家の生活全般と適切に向き合う。画家の良きパートナーとなって、新しい作品を世に送り出す。
こうした営為の蓄積があって初めて、画商はそれぞれの画家の画業を深く理解するに至り、真贋(しんがん)を見極める眼力が養わ
れる。藤田嗣治(つぐはる)らとの交流を例にして著者は説明を進めるが、論旨は明快で、説得力に富んでいる。

 但(ただ)し現実はかかる正論を嘲笑(あざわら)うように複雑怪奇でもある。フランスで夭折(ようせつ)した天才佐伯祐三の作品と
称するものが、十数年前に大量に出現した。著者らは程度の低いニセモノと斬(き)って捨てたが、全国の美術館に大きな発言力を
有するある人物は本物と断言、億単位の大きな商談が成立するところであった。現在では贋作との見方が定着しているようだが、反
対意見はなお存する。後味の悪い顛末(てんまつ)であり、絵画が高額な商品である以上、こうした事件はあとを断つまい。

 古文書の調査・研究を行ううちは私的な古文書蒐集(しゅうしゅう)は止めなさい、と先輩から厳しく教育された。研究を経済的利潤
から遠ざけ、公平性を担保するためである。だが、まさか画商がそうするわけにはいかない。さればこそ、著者が説く「節度ある眼力」
がひときわ強く求められる。

 ◇はせがわ・とくしち=1939年、東京都生まれ。全国洋画商連盟会長など歴任。著書に『私が惚れて買った絵』。

講談社 1600円

評・本郷和人(日本中世史家)

(2009年3月9日 読売新聞)