禁教の歴史像書き換え

 偶像崇拝とは、キリスト教の神以外の人ないし物を神として崇(あが)めることであり、この上ない罪であった。
インドではヨーロッパ的な倫理観の受容が信者に強要されたので、偶像崇拝は厳格に禁じられ、寺院は破壊の
対象となった。

 これに対し、日本にやってきたイエズス会の宣教師たちは、教理を日本社会に「適応」させることで布教の成果
を挙げていく。彼らは日本の主従の関係と親子の関係を重視し、キリスト教に帰依した信者が主人の命で仏事を
手伝ったり、親の仏式葬儀に参加することを許可した。さらには戦場に赴き殺人に関与することすらも容認した。
こうした方針には異論もあり、フランシスコ会は日本に偶像崇拝・男色・略奪と圧政・高利貸しなど罪の事例あり、
と糾弾している。だが、イエズス会によって設定された「適応主義」は揺るがなかった。

 実に丁寧な仕事である。世界各地に保管されていた宣教師たちの文書を丹念に発掘し、翻訳して分かり易く紹
介する。そこには彼らの真情と、当時の日本社会の実像が垣間見える。またこうした作業の集積として、画期的
なことに、歴史像の根本的な書き換えが提案される。

 秀吉や徳川幕府はなぜキリスト教を禁止したか。それが統一権力の成長と衝突する教えだったから、という解
答が一般的には用意されている。だが、本書によればそれは誤りである。イエズス会は長年の適応主義の成果
として、キリスト教が日本の基本的な秩序を脅かす存在でないことを主張できたのだから。むしろ順序は逆で、
自らをキリストや聖人になぞらえる殉教者が輩出したことを契機とし、幕府は主君への忠誠よりも神への献身を
優先させる危険思想としてキリスト教を認識するようになった。そのため、処刑するより棄教させることに躍起と
なった、と著者は説く。ではなぜ幕府を否応(いやおう)のない地点に追いつめる殉教者が生まれたのか? 
今度はその問いをぜひ著者に尋ねたい。

 ◇あさみ・まさかず=1962年東京生まれ。慶応大准教授。主な論文に「中国におけるイエズス会士の任官問題」。

東京大学出版会 7200円

評・本郷和人(日本中世史家)

(2009年5月4日  読売新聞)