日本史を学び直すための130冊 のうち 貴族と武士の盛衰10冊 
本文へジャンプ XX月XX日 

1,「蒙古襲来」
著◎網野善彦 小学館 1050円

2,「鎌倉幕府」
著◎石井進 中央公論新社 

3,「土民嗷々」
著◎今谷明 新人物往来社

4,「日本の中世国家」
著◎佐藤進一 岩波書店

5,「保元・平治の乱を読み直す」
著◎元木泰雄 日本放送出版協会

6,「清盛以前」
著◎高橋昌明 平凡社 4830円

7,「中世人の経済感覚」
著◎本郷恵子 日本放送出版協会

8,「東アジアのなかの日本文化」
著◎村井章介 日本放送出版協会 3500円

9,「都市平泉の遺産」
著◎入間田宣夫 山川出版社

10,「中世の身体」
著◎五味文彦 角川学芸出版

番外,大日本史料
編◎東京大学史料編纂所 東京大学出版会


 君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。ちょっと人と変わっているとすぐに「いじめ」られる昨今、威儀を正してつくづくと噛みしめたい言葉である。いじめは大人の世界にももちろん広範により隠微に存在する。「新しい教科書をつくる会」の絶え間ない内ゲバ(ちっとも隠微ではないか)などは格好の笑える事例に違いないのだろうが、おっかないので言及しない(こういう時、中世の貴族は「莫言」と記した。いうなかれ、いうなかれ)。人間は本来、千差万別、いろいろである。考え方や物の見方が余すところなく一致することなどないのだから、あとは互いを尊重しながら真摯に議論するしかないのだ。

 日本中世史学界に「学閥」のような概念がないではない。東大系が武士と将軍、京大系が貴族と天皇を重視して鎬を削るとも評される。けれどもそれによって学問が活性化されるならともかく、単なる足の引っ張り合いに堕すのではバカバカしい。私は後出の五味文彦先生の指導を受けた者だが、関西のある研究者から「五味の幇間」と揶揄されたそうな。阿呆か。書き手の属性が東だろうが西だろうが、さらには自分と同意見であろうがなかろうが、すばらしい論文は素晴らしいし、面白い本はおもしろい。吹けば飛ぶような「私」の利害などは、学界や本誌のような「公」の場では何の意味ももたない。

 本項はこうした考え方に基づき、「貴族と武士の盛衰」というテーマの「いま」を代表する本を、入手の容易さと読みやすさを考慮しながら、選んでみた。私が選んだには違いないが、中世史研究者の多くが納得できる構成になっていると思う。どうぞご覧下さい。・・・で済ませようと思ったけれど、それだと「選ぶ」責任から逃げるのか卑怯モノ、との厳しい批判をどうしても受けますね。 ・・こうしましょう。以下に記載するのはどれも素晴らしい本です。ですが私の意見とは相容れぬ主旨も当然ある。それを明記することによって、「私」の責任を果たします。〈賛〉→勉強になった。この本の説明に賛同する。〈批〉→内容は高く評価するが、私は別の考えをもっている。 

 先ずは【通史】。「蒙古襲来」の網野善彦の名は、多くの方がご存知だろう。従来の日本史研究は「定住して農耕を営むる人々」ばかりを見ていて、「漂泊して農業以外で生計を立てる人々」の世界が抜け落ちている(ここに「百姓は農民ではない」という著名な命題が成立する)。後者の有する価値観を追求すれば、より自由で明るい日本社会が見えてくる。全く新しい歴史像を開拓する網野のパワーは日本史世界を二倍にし、日本とは何か、の再考を現代社会に迫った。ただし弱っちい私は、「殺す自由と殺される自由」をも包摂する社会を「明るく、楽しく」は感じられないので〈批〉。

 戦後の東京大学日本史研究室の中世史担当教授は佐藤進一⇒石井進⇒五味文彦⇒村井章介と継承されていくが、石井は歴史学のみならず、考古学・民俗学・社会学・宗教学などあらゆる学問に通暁した人であった。1980年ごろから学際研究の旗を立て続けていたが、学生(ボンクラな私をその中にいた)たちの多くは関心すら示さなかった。先生は本当に寂しく思われたろう。石井は傑出したプロデューサーでもあり、一見特異とも思える研究が、石井の演出と解説によって輝きを得た事例が数多くある。その代表が網野だと、私は勝手に解釈している。2001年の急逝は「さあ石井史学を集大成しよう」という矢先の出来事だったので、痛恨極まりない。「鎌倉幕府」は石井の原点である。ここに示された時代認識が幹になり、美しい枝が伸張していった。残された私たちは蟷螂の斧と嘲笑されようと、この堅牢な学説に挑み続ける責務がある。自分を叱咤しつつ〈批〉。

 新しい説が出ると頭の悪い研究者ほどヒステリックに反発する。キャパシティが狭いから、自分が何とかしがみついている学問的達成の揺動が怖いのだろう。人の話にはまず虚心に耳を傾けねば。このとき、今谷明は当代随一の「聞かせる」研究者である。歴史学が上質のエンターテインメントになりうることを、今谷の仕事は教えてくれる。その立論の背景には、石井をして「今谷さんは怪物だよ」といわしめた膨大な史料の発掘と整理があることも忘れてはなるまい。「土民嗷々」はその代表。私は今谷のようには天皇を重視できないので〈批〉。

 次に【国家史】。「権門体制論」という一世を風靡した理論がある。大阪大学の黒田俊雄が提唱者で、中世では公家(貴族)・武家(武士)・寺家(神社仏閣)が天皇のもとに支配者層を形成し、相互補完しながら民衆を統治していた、とする。この論の克服を目指して著されたのが、戦後の「日本中世史」の生みの親ともいうべき佐藤進一の「日本の中世国家」。佐藤は天皇中心の国家体制を否定し、東には将軍を王とする東国国家があり、天皇を戴く西国国家と並び立っていたとする。私はこの枠組みには賛成なのだが、幕府と朝廷が「相互不干渉」だったとする点に〈批〉(うわ。神をも畏れぬ物言いだ)。

 網野らの社会史の隆盛のかげで、権門体制論と「東国国家論」が切磋琢磨すべき国家史の議論は等閑にされ停滞した。この間、東国国家論は五味文彦の「二つの王権論」へと成長したが、権門体制論もまた進化を遂げた。それが元木泰雄の複合権門論であり、ここで元木は権門の有する機能を見直し、権門体制論の汎用性を飛躍的に高めている。元木の理論に接しようとするのに好適なのが「保元・平治の乱を読み直す」。互いに影響しあう公家・武家・寺家が活写されている。私は武家の重視したいので「批」。

 武家、すなわち中世の原動力となった武士とは何か、を知るためには高橋昌明のが適当である。石井は先の本で武士の姿を在地(地方。現地)に追い求めた。これに対し高橋は朝廷が武士身分を創出したのであり、都の武士こそが本流であるとを説く。誰も考え得なかった非凡な発想の転換である。もう一度高橋の「清盛以前」を熟読し、そもそもの武士のありようを再確認したい。私は「地方の武士」を強調する立場なので「批」であるが。

 【経済・文化】。まず(あれ?この人私と同姓だな)本郷恵子「中世人の経済感覚」を挙げる。なるほど中世の経済とはこうか、と目から鱗が落ちる。オムニバス形式なので、どこから読んでも面白い。功成り名遂げた人は勲章が欲しくなる。昔であれば官位に大金を投じる。今も昔も変わらぬ人間の本質を、カネはダイレクトに抽出する。村井章介「東アジアのなかの日本文化」はたいへん欲張りな本で、日本と東アジアの交渉のうちに日本文化の位相を探求していく。考古学的成果も過不足なく援用され、論に厚みを増している。信じて疑わなかった「日本的なるモノ」の再検討を迫られるスリルも味わえる。この分野については全く不勉強なので批判しようにもできないことをお断りした上で「賛」。

 【その他】。本項のテーマたる貴族と武士に対応し、京と鎌倉を注視して話を進めてきた。そうした方法を根底から覆すかもしれぬのが入間田宣夫の辺境からの眼差しである。「都市平泉の遺産」。王権がいまだ未熟である中世前期、在地の人々の暮らしは朝廷や幕府に即応しているはずがなかった。北の王国、平泉政権を知ることにより、日本の歴史が秘めていた可能性に気付かされる。私も視野を広げねば。「賛」。

 最後に全く新しい試みとして、五味文彦の「中世の身体」を取り上げる。五味はこれまでも一貫して、人の外形(行為)と内面(思惟)とをあわせ論じる営みを続けてきた。これはその一つの到達点ともいうべき著作で、身体を通じて歴史的人格と歴史的空間・場とが緊張を以てみごとに捉えられている。歴史学からの「身体」への言及は、他の学問分野との連携も容易に視野に取り込んでいく。まさに快作である。前述のように私は「五味の幇間」だそうだから(苦笑)もちろん「賛」。

 番外として大日本史料を紹介させて下さい。これは東京大学史料編纂所が編纂・刊行している歴史書で、たとえば1250年、建長二年三月四日にどんな事件があったのか、それが子どもがお寺の塀に立小便をした等の一見するととるに足らぬものでも、編年体で網羅的に詳述する。国家史の編纂は明治時代から継続中の仕事で、完成まで何百年もかかる大事業である。一度本を手にとって(買って下さいとは申しません)御覧になって下さい。