大日本史料第五編



僧侶

○天台【山】  青蓮院道覚入道親王 俗名朝仁 西山宮 後鳥羽院皇子 80代座主 道覚と浄土宗西山派との関係を示す論文に     ●中西随功氏「道覚法親王雑考」(『西山学報』35,1987)があります。     道覚は承久の乱の後、西山に籠居し、そこで証空と関係をもったそうです。  梶井尊覚法親王 中山宮 順徳院皇子 81代座主  青蓮院最尋、のち道玄 十楽院 二条良実の子     ●上川通夫氏「中世の即位儀礼と仏教」(『天皇代替り儀式の歴史的展開』所収)     によると、道玄こそは後に、具体的にいうと伏見天皇即位時に弟の二条師忠と組ん     で、「即位灌頂」をはじめた人物です。なるほどー。  最守 松殿基房の子  慈源 九条道家の子  慈実 後妙香院 真木野とも 九条道家の子  ○天台【寺】  円満院仁助法親王 土御門院皇子 54代長吏  覚仁法親王 桜井宮 後鳥羽院皇子 ○真言  御室道深法親王 金剛定院御室 後高倉院皇子  上乗院良恵 九条兼実息  上乗院道乗 後鳥羽院皇子頼仁親王の子  信寛(後に深寛 仁和寺五智院主)          3位室町家信の子。東寺観智院金剛蔵『東寺長者補任』      弘安10年に彼の略歴が載っていますので、記しておきます。       建長元→任権律師 康元元→権少僧都 文応元→権大僧都       文永3→法印 弘安5→東寺長者加任 弘安7→権僧正       弘安9→僧正 弘安10,1,11→入滅、歳62                  没年から逆算すると、建長元年段階では24才ですね。     8月24日でも書きましたが、彼の周囲には九条道家と縁の深い     人が多い。九条家は建長年間に没落するわけですが、その後も     僧侶として昇進、後嵯峨上皇没後の九条家復活(文永10年)を     待って東寺長者にもなる、という感じなのかなあ。    ○南都  尊勝院宗性 ばっかやろう。てめえのせいで俺の人生は・・・。



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