写真ライブラリー

国内外の文書館・史料所蔵機関、史料調査の折に立ち寄った歴史施設や
遺跡のスナップ写真を紹介しています。

MENU

フランスの文書館

1995年から96年にかけて在外研究で訪れたフランスの文書館のスナップです。主に外務省文書と陸軍・海軍の史料を見て回りました。フランスの国家機関はどこでもきちんとした文書館機能を備え、絶対王政以来の文書を保存・公開しています。軍隊も例外ではなく、国防省の歴史資料部がパリ郊外の古城(ヴァンセンヌ城)に置かれ、ここは市民に広く公開されています。第2次大戦のレジスタンス関係史料もここにあります。

【国立文書館】 【陸・海軍歴史資料部】 【外務省史料室】

パリにある長州藩の大砲

かのナポレオンがねむるパリのアンヴァリッド(廃兵院)、その敷地内に各地の戦争でフランスが分捕ってきた大砲類が陳列されています。その中のひとつがこれ。1864(元治元)年の下関戦争でフランスが長州藩の砲台から奪ってきたものです(1984年に下関に返還されたのは、ここにあった旧式の子母砲です)。下関戦争で分捕られた大砲は100門以上あったと思われ、英国ウーリッチ(ロンドン郊外)の大砲博物館、米国ワシントンの旧海軍工廠にも陳列されています。

【長州藩の大砲】

対馬芋崎浦のロシア艦占拠地跡

1861(文久元)年2月、ロシア軍艦ポサドニック号は対馬の浅茅湾に侵入、芋崎浦を占拠して一帯の租借権を要求しました。幕府は5月、外国奉行小栗忠順を派遣しますが、事態の対応には苦慮します。7月、イギリス軍艦の威圧を前に、翌月ようやくロシア艦は退去しましたが、この事件は列強のパワーバランスの渦中に日本が置かれていることをまざまざと見せ付けることになりました。
本所所蔵の探索絵図(外務省引継絵図)には、ロシア側が建設した宿舎や土塁、波止場、井戸、家畜小屋などが記されています。彼らの退去後に幕府は徹底的な破却を命じましたが、その痕跡は現在もはっきりと残されています。

【芋崎遠景】 【大波止場跡】 【小波止場跡】 【露寇の碑】 【井戸跡】

和田岬砲台

JR兵庫駅から和田岬線で一駅、三菱重工神戸造船所の一角に、1864(元治元)年建造の洋式砲台があります。高さ11.5m、直径15mの円筒形。同型の砲台は、西宮ほか4ヶ所につくられましたが、内部構造も当時のまま残されているのはここだけです。

【和田岬砲台】

〔メインメニューへ〕 〔史料編纂所ホームページへ〕