「紹介と研究 史料編纂所島津本『玉ものまへ』について」」 藤原 重雄
  (『東京大学史料編纂所附属画像史料解析センター通信』11、2000年10月)


 史料編纂所所蔵の絵画史料原本には、彩色鮮やかな奈良絵本一点も含まれている。島津家文書中に伝えられた『玉ものまへ』である([島津四九−七]以下、島津本と略称)。すでに大島由紀夫氏の「『玉藻前』諸本をめぐって(一)」(『伝承文学研究』三九、一九九一年。(二)は『同』四一、一九九三年)に紹介があり、本所で少なくとも一九八六年に史料展覧会に出陳されている(『所報』二二)が、図版が載せられなかったためもあり、必ずしも広く知られていない。わたくしも、国文学研究資料館「絵本の会」で池田真由美氏の諸本をめぐる口頭発表に教えられ、以下の記述も依拠するところがある。

 この物語のあらすじは次のとおり。近衛天皇の治世、鳥羽院の御所に化女があらわれ、院の寵愛を得た。天下無双の美女にして国中第一の賢女、尋ねて知らぬことはなかった。管絃の御会に身体から光を放ち、玉藻の前と呼ばれた。そうしたところ天皇(「院」を修正)が病となり、陰陽頭が占って言うには、下野国那須野の古狐の化身である玉藻のしわざという。そこで玉藻に太山府君祭の幣取をさせると、祭文半ばにして姿を消した。上総介・三浦介が命を受け、那須野へ狩りに向い、尾が双つの狐を見いだすも、神変自在、帰国して調練のうえ出直すことにした。再び向うも捕らええず、両介が祈請して見た夢に若い女房が現れ、守り神となることを申し出るが断り、翌日ようやくのことで射止めた。急ぎ参内すると、御前で狩りの模様の再現を求められ、これが犬追物の発祥となった。狐の体内には金壷・剣などがあり、分配され、また宝蔵に籠められた。

 今日的には一種の女性蔑視に違和感を覚えるが、中世から近世にかけて大変好まれ、『看聞日記』『実隆公記』など記録での所見は多く(市古貞次『中世文学年表』東京大学出版会、一九九八年)、二〇以上の伝本(絵巻・絵本・写本、その他に承応二年刊版本)が知られている(松本隆信「増訂室町時代物語類現存本簡明目録」『御伽草子の世界』三省堂、一九八二年。大島前掲論文)。

 島津本は上下二冊、比較的数の少ない横大型本(二三・六×三二・六)である。両冊とも前後の遊び紙を含め一九丁で、挿絵七図(半丁五図、見開き二図)と構成を同じくし、絵の前丁で詞書が散らし書きになるところがあって、規格が先行して制作されたようである。本文は、諸本のうちでも簡素化された系統に属し、一部金泥下絵のある料紙にほとんど平仮名で書される。挿絵は、面塗り緑青などに剥落を認めるが、顔料の発色はよく、保存状態は良好といえよう。

 奈良絵本・絵巻とくくることに一定の根拠はあるが、絵画様式的にもかなりのばらつきがある。島津本は江戸期に杯っての作で、構図・人物表現・事物の大小比などは整っている。その分、室町末期とされる多様な作品に比べ、素朴な味わいや自由奔放さには欠け、このジャンル特有の魅力には乏しい。ただし、絵本の大量生産を背景としているが、標準的寸法の横本に見られる簡素な様式とは一線を画している。すやり霞に金砂子を散らす手法は江戸期の本に通有だが、人物の装束に金泥輪郭線を添えて細かな文様までを綿密に描き込み、水墨風の画中画を繰り返し描く点で、豪華と言わないまでもかなり丁寧な作りである。

 さらに島津本の全一四図は、他本と比較して絵画化に独自性があり、他で取り上げない場面や、見開き画面とするため半丁分付加された図様などがある。物語前半部は玉藻との問答が大半を占めるが、それだけに絵画化が難しい。島津本では、蓮の精華をめぐる問答から池の蓮を眺める場面を描き(絵二)、琵琶の起源問答から琵琶を作り始めた人物を付加し(絵五)、笙の問答から創始者の女カ(女扁に咼)が吹くと霜が下りた場面を描き(絵六)、諸物の根元の問答から鎧・扇製作の町屋を添える(絵七)など、手持ちの図様を利用しつつ、詞書を受けての創造性が発揮されている。病となった院を蓬髪の童子のように描く(絵八・九)のも特徴的で、枕頭に侍る玉藻はあたかも母親のようであり、別の物語からの転用も考えられる。(※病となったのは天皇ですので拙文では誤解しておりました。)また、両手を挙げて驚きを示すユーモラスなしぐさ(絵三・一七)は、工房の検討に手掛かりとなろう。

 大島氏の指摘するように、最初に那須野へ狩りに向かった場面(絵一一)では、武士の一人(上総介か)の鎧に島津家の家紋「丸に十字」が描かれている。追筆とは認められず、島津家に関係する注文制作と推測して大過なかろう。島津家文書には一群の諸芸秘伝書が含まれ、この『玉ものまへ』も犬追物関係史料に一括されている(史料編纂所編『島津家文書目録』V、二〇〇〇年)。近世の島津家にとって犬追物はいわばお家芸で(松尾千歳「島津家武家故実の成立と展開」『尚古集成館紀要』四、一九九〇年、ほか。鴨川達夫氏御教示)、物語の歴史的な受容をうかがわせる。また三浦介の夢に玉藻が現れる場面(絵一二)では、幔に沢瀉を描くが、意図的な表現の可能性がある。

 こうした島津本の意義を踏まえ、センタープロジェクトとして基礎的調査と写真原板の整備、焼付公開・Web公開を準備している。各大学図書館等での貴重書電子展示に学びつつ、一点ものならでは工夫を加味してゆきたい。

《挿図》(絵3)上7ウ  (絵6)上15オ


東京大学史料編纂所古代史料部藤原重雄論文目録