「「仮屋」小考――松の葉を屋根に葺くこと――」要旨   藤原 重雄

 

 本稿は、贈与論的な関心から、中世の絵巻を読むことを課題としている。

 ここでいう贈与論とは、贈り物・もてなしといった相互のやりとりとして現象をとらえ、その互酬性・相互性に着目する態度を広く指している。日本中世史の分野においては、一九八〇年代に入るころから一連の研究が現れ、これまで見過ごされてきた社会的諸関係を浮き彫りにしている。そして絵巻は、社会的関係を視覚的に表現した史料として際立った性格を備えており、中世社会における贈与の諸側面を明らかにするためにも有効である。とりわけ一四世紀初頭に制作された『春日権現験記絵』(以下、『春日験記』と略称)は、『一遍聖絵』とならぶ重要な絵画史料であり、そこには貴族と寺社の世界がきわめてヴィビットに描き出されている。その『春日験記』から、巻一第四段をとりあげて、分析・読解を試みる。

 一見、単調・退屈な趣のある当段の画面であるが、この作品がきわめて意識的で計算しつくされた絵画表現をとることに留意するならば、一風変わった緑色の屋根を持つ建物が描かれていることに気づく。詞書の語るこの段の物語は、次のようなものである。寛治六(一〇九二)年、白河院が金峰山に御幸した時、山上で俄に病となった。春日明神に憑かれたのである。途次に春日社に参詣しなかったことを咎められ、これを恥じた院は参詣の願書を認めさせ、神馬を奉納することによって、病から本復した。この内容から、絵画化された場面は金峰山であると考えられ、そこに描かれている建物群は仮設の御所、すなわち仮屋であると想定できる。

 先行研究を参考に仮屋の性格を探ると、二種の仮屋の内的な関連が考えられる。一は、律令制下の逓送雑事の仮屋を前提とした、院・貴族の寺社参詣の際に設けられる仮屋である。もう一種は、荘園へ検注使等が下向した際に設けられる仮屋である。両者の設営はともに、民衆にとっては負担である一方、政治的な上位者に対する贈与としての性格も備える供給(くごう)の展開する場でもある。

 この点をふまえ、風変わりな緑色の屋根に着目して他の絵画史料にあたると、『石山寺縁起絵巻』のなかでは、まさに仮屋を絵画化した場面に描かれている。そこでは、宇多院の参詣に対して「風流の御儲」を奉仕したことが語られるが、御儲とは接待であり贈与である。さらに、その御儲に風流を尽くすこと自体、もてなしの一環である。このことからは、緑色の屋根は、風流の趣向の一つと位置づけられる。

 ところでこの緑色の屋根は、針葉樹の葉を描く際と同様の絵画表現がなされている。これは文献史料から、松葉を葺いたものと考えられる。院の寺社参詣や東大寺大仏供養の法会の仮屋には、飾り・荘厳として屋根には松葉が葺かれている。また、春日参詣の際の黒木御所や、春日若宮おん祭の御旅所仮御殿にも松葉葺が確認でき、仮屋にこれが用いられていることがわかる。

 すると絵巻に見られた、風変わりな緑色の屋根=松葉葺は、絵画表現上、仮屋の標識として機能しているといえる。それは、風流の趣向であるとともに、清浄さの表現であったと考えられる。この点は民俗学的な事例から推測可能ではあるが、『春日験記』全体の絵画表現をコード論的に検討することによって、一層明瞭になる。この分析によって、当段に描かれた建物群が、仮屋であること(=仮屋として描かれていること)も確実になる。またこの絵画コードの分析からは、『春日験記』がきわめて意識的に画面構成をおこなっていることも確認できる。(補論として、「絵巻のなかの伊予簾」を作成した。)

 このようにして仮屋であることが認められた、『春日験記』巻一第四段の建物を贈与論的に読み解いて行くと、『年中行事絵巻』からの意識的な図様の引用によって、白河院の発病という異常事態を、宴の欠如という空白でもって表現していると推測できる。さらに、ややわかりにくいこの場面の表現の意味を読み解く筋道も得られる。

 この場面の主題は、冥々に加護する春日神の存在を忘却し、報恩を怠った白河院が、神との関係を回復することである。その神との関係は、贈与によって規定、性格づけられたものであり、その実現も贈与によってなされる。こうした贈与を軸とした人と神仏との関係づけの諸相が、今後の課題となる。

以上の検討を通じて、絵画史料(絵巻)に即して、詞書から、社会文化的なコンテクストから、現代的な関心からという、レベルの異なる贈与を抽出した。この作業は同時に、『春日験記』という造形作品を特徴づけている性格の一端を示すことでもあり、その史料的な価値を明らかにすることでもあった。


東京大学史料編纂所古代史料部藤原重雄論文目録