『大山寺縁起絵巻』小解         2001.11.10. 史料学セミナー(第2講・附)

藤原 重雄(古代史料部・助手)

 

 

1、伝来と諸形態の複成

【原本】

伯耆・大山寺所蔵。全十巻。室町時代。紙本着色。

各巻末「(文殊菩薩種字)利寿大権現 宝物(朱方印:西明院主)」。

大正七年(1918)年(旧)国宝指定。昭和三年(1928)四月二十二日火災焼失。

【模本】

東博[6922] 

二巻。原本の巻一・二に相当。模写奥書「大山縁起巻第一/天保二年六月模了」「大山縁起巻第二/天保二年八月模畢」。天保二年(1831)、狩野晴川院周辺の模写(ただし、『公用日記』の同年周辺には記事は見えず。各段の裏に模写筆者名あるも未検討。)。原本すでに錯簡等があり、直して模写する心づもりであったのが実現を見なかったのかも知れない。

東博別本[8435]

一巻。二場面のみの抜写だが、前半が粗い写真で紹介されているだけ。史料本とツレになる模本か?

史料[呂356] 一巻。抄写。8段分。大正七年(1918)模写。

〔参考〕東京国立博物館編1952『東京国立博物館収蔵品目録(絵画・書跡・彫刻・建築)』

    松原茂1979「狩野晴川院と絵巻」(『MUSEUM』344) ※狩野晴川院関係絵巻模本(東博蔵)一覧あり。

    −−−1982「奥絵師狩野晴川院−−「公用日記」に見るその活動」(『東京国立博物館紀要』17)

【影写本】

史料[3015-17] 一冊。詞書全文。大正七年(1918)八月影写。

【写真】

史料 

台紙付写真[456-5620〜30、457-5631〜36] 17点 大正九年(1920)五月十四日撮影

  ガラス乾板 *点 →古写真研究PJによるガラス乾板からの良質なデジタル画像の提供

 

2、原本構成の復元

 

文化財保護委員会による集成(錯簡の乱れはそのまま)

佐々木一雄による集成(洞明院本によって順序を改めているが、錯簡が残る)

近藤成一による東博別本を含めた復元・デジタル化・紹介ビデオ作成

※着色復元には図像内容的・様式的検討が不可欠。3Dアニメ化は美術史学・絵画史料論の見地から学術的と言えるか?

〔参考〕千野香織1990「言葉とイメージ−−物語絵画研究の現在−−」(『列島の文化史』7)

    藤原重雄1999「書評と紹介 武田佐知子編『一遍聖絵を読み解く 動きだす静止画像』」(『日本歴史』618)

 


3、奥書

 

応永五年(1398)、前豊前入道了阿(花押)

愛知・妙興寺文書(『一宮市史』資料編5、289号。影写本[3071.55-4-4]。尾張国中島郡内。)

 応永二十六年(1419)四月十五日、長谷部了阿寄進状

幕府奉公衆・長氏(長谷部信連の末裔)と推定される。(末柄豊氏御教示)

※奥書の後ろに地蔵菩薩像が描かれていたか?

〔参考〕宮次男1988「序跋からみた縁起と僧伝絵巻」(『実践女子大美学美術史学』3)

 

4、詞書

 

巻頭の序は料紙全体を使用。

「都て内典外典共に絵に書事の奇特其例かすをしらす、今はたヽ地蔵菩薩の済度利生の勝給へる中に、伯耆国大山権現の垂跡しましまして、御山のふしきを顕し、結縁の人をすくひ給ふ事わつかに聞及に随て、時代の前後をも弁す、次第不同に書あつめたるなり、人みな信心をおこしておなし心に地蔵権現を仰ぎ奉て、共に引導にあつかり給へ、」

各段は色紙形。下絵装飾・金銀泥も使用。白紙の箇所があり、あるいは色紙を貼り付けたか。

おおむね洞明院本(謄写本[2015-441])の取意文。(若干は独自の情報源を有したか:橋本1996)

内容は、大山・大山寺の縁起、霊験譚、歴史・説話。

応長元年(1311)が最も下る年記。洞明院本では正和五年(1316)。

鎌倉末期の成立。(橋本1996:正中二年(1325)〜元徳二年(1330)に絞る)

 

5、絵

 

連続する画面に色紙形を置く形式。『華厳五十五所絵巻』『馬医草紙』『多武峯縁起絵巻』などがあるも多くはない。

〔参考〕中野玄三1989「談山神社本『多武峯縁起絵巻』について−−障壁画形式社寺縁起絵の有無の検討−−」(『嵯峨美術短期大学紀要』15)

様式的検討の材料が提供されたところ。図様内容的に注目されるいくつか。

・巻一・二:修験関係の絵画(ex.熊野曼荼羅・行基関係の絵巻)との比較が可能

・宍道湖と大山:名所絵

・田植:東博蔵『月次風俗図屏風』、『法然上人絵伝』(東京都美術館ほか2001『聖徳太子展』図78、第一幅の右下)など。

・田楽・高足・神楽(→『大日本史料』3-6、康和四年年末雑載、仏寺):『浦島明神縁起』など

・僧兵(→『大日本史料』3-3、嘉保元年閏三月八日条「是日、伯耆大山寺ノ衆徒、上皇御所ニ詣リテ、天台座主ヲ訴フ、」)

・堂舎造営:『松崎天神縁起絵巻』『春日権現験記絵』など多数。『壬生寺縁起』にも注意。

・金門造営(→『国史大辞典』8)

・鋳鐘(→『中央史壇』昭和三年一月号:未見)

〔参考〕奈良県立橿原考古学研究所附属博物館2000『大仏開眼−−東大寺の考古学−−』

    横浜市歴史博物館2000『中世の梵鐘−−物部姓鋳物師の系譜と鋳造−−』

・合戦(→『大日本史料』3-10、天仁二年正月六日第二条「因幡守平正盛、流人源義親ヲ出雲ニ誅ス、尋デ、正盛、義親ノ首ヲ携ヘテ、帰京ス、」

・行列(鳳輦・奉幣使・強訴)

・法会、仮屋

〔参考〕藤原重雄1995「『仮屋』小考−−松の葉を屋根に葺くこと−−」(藤原良章・五味文彦編『絵巻に中世を読む』吉川弘文館) 

 

〔資料〕

伯耆大山寺・『大山寺縁起』関係文献目録(抄)

 

          各巻末軸付紙の書付(影写本より)

          奥書および地蔵菩薩像【写真】(文化財保護委員会1964より)

          奥書翻刻(佐々木一雄1971より。『大日本史料』7-3、675頁にも所引)

          「妙興寺文書」長谷部了阿寄進状(影写本より)

          同上翻刻・花押影(『一宮市史』資料編5、289号)

          「長氏系図」より信連〜信近(『長氏文献集』加賀能登郷土図書叢刊46)

          「性海寺文書」より長谷部氏系図(同上)

          「康正二年造内裏段銭并国役引付」より「長伊豆守殿〈但馬・伯耆段銭〉」(『群書類従』雑部)

          東博模本巻二より末尾2段

          東博模本別本

          史料台紙付写真より金門修造の場面(佐々木一雄1971より111頁)

          東博模本巻一より末尾2段

          史料台紙付写真より康平七年奉幣の法会の場面(佐々木一雄1971より104・5頁)

          奈良県立橿原考古学研究所附属博物館2000より境内出土の鋳造遺跡

          『日本三代実録』貞観九年四月四日条、斎部文山卒伝。『同』貞観三年三月十二・十四日条。

          藤原重雄1995より118頁

 

 


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