【2013年度】
(1)課題の成果
本所所蔵「倭寇図巻」は一六世紀倭寇のイメージを具体的に描いた絵巻としてつとに知られている。一方、中国国家博物館には「抗倭図巻」と名付けられた絵巻が所蔵されており、他にも倭寇を描いた複数の絵画史料が所蔵されているとのことである。本研究では、中国国家博物館の許可と協力を得て、第一に「抗倭図巻」と「倭寇図巻」の調査・分析をすすめ、二つの絵巻を比較検討して、その史料的性格を明らかにしていく。第二に、国家博物館が所蔵する倭寇関連の絵画史料の調査をすすめ、近世中国において「倭寇」がいかなるものとして記憶されたのかという問題について検討する。
(2)研究の成果
共同研究最終年度となる本年度は、中国国家博物館と一層の連携を図りつつ、新たな倭寇図の捜索を行うとともに、「倭寇図巻」「抗倭図巻」の史料的性格について、これまで蓄積されてきた発見・見解の総合化を試みた。7月の中国調査では、新たな倭寇図の発見には至らなかったものの、個人の戦勲図から模本が生み出されていくという現象は、倭寇図巻に限ったものではない可能性を示唆する発見があり、また三年間の蓄積を背景とした「抗倭図巻」の熟覧は、「倭寇図巻」「抗倭図巻」を作品としてより深く検討するための絶好の機会となった。1月の研究集会ではその成果として、「倭寇図巻」「抗倭図巻」について、絵画自体が何を語るのか、様式的にはどのように読めるのかという点についての追究が具体的になされ、二つの図巻が、中国絵画のどのような流れの中に位置づけうるのかが示された。以上の成果を含め、三年間の共同研究で得られた成果については、論集及び図録として公開する予定である。本年度においては、まずオールカラーの図録の編纂を行い、作業の大半を終えた(6月刊行予定)。これまで得られた「倭寇」像研究に必要な画像を一覧できるようにし、また三年間に蓄積された倭寇図巻研究につき暫定的な結論を示す構成とした。作業にあたっては共同研究員による寄稿をうけたほか、細部にわたるまで教示と助言を得た。本共同研究においては、研究の深化も、研究の進展の契機となる発見も、成果のとりまとめもすべて、各共同研究員が持っている専門知識と人脈によるところ大であり、それなしではなしえなかったことが多い。学際的共同研究の強みが最良の形で発揮されたと言えるだろう。
【2012年度】
(1)課題の成果
本所所蔵「倭寇図巻」は一六世紀倭寇のイメージを具体的に描いた絵巻として夙に知られている。一方、中国国家博物館には「抗倭図巻」と名付けられた絵巻が所蔵されており、他にも倭寇を描いた複数の絵画史料が所蔵されているとのことである。本研究では、中国国家博物館の許可と協力を得て、第一に「抗倭図巻」と「倭寇図巻」の調査・分析をすすめ、二つの絵巻を比較検討して、その史料的性格を明らかにしていく。第二に、国家博物館が所蔵する倭寇関連の絵画史料の調査をすすめ、近世中国において「倭寇」がいかなるものとして記憶されたのかという問題について検討する。
(2)研究の成果
昨年度までの研究成果により、『倭寇図巻』が東アジアの孤本ではなく、類似品がたくさん作られていた可能性が高いこと、すなわち明代後期、原・倭寇図巻とも言うべき絵巻が描かれ、その模本が江南の工房で多く作られ独自に発展したのであろうこと、そのうち現在に伝わったのが本所所蔵『倭寇図巻』・中国国家博物館所蔵『抗倭図巻』であり、『抗倭図巻』の系統に属するものだが現存せず、内容だけが伝わっているのが文集史料に見える「胡梅林平倭図巻」であることなどが明らかとなった。さらに『倭寇図巻』に限らず、明代において『太平抗倭図』など多様な倭寇図が描かれていたことが判明した。
本年度は以上を受け、①原・倭寇図巻は何を描いていたのか、②原・倭寇図巻の類似品の展開は明代社会のどのような文脈の中で行われたのか、③発見された新たな「倭寇」図はどのような歴史的背景を持つのかの追究をはかった。一一月に実施した現地調査においては事前の史料調査に加え、実際に現地を歩くことで、①・③の視点を深めることができた。この成果については、二〇一三年四月実施の国際研究集会で報告した。また②の視点の追究として、中国国家博物館所蔵『平番得勝図巻』を取り上げ、北京で実見した。『平番得勝図』は、万暦年間初頭(一五七〇年代)の甘粛における番族平定を描き、陝西総督石茂華の顕彰という性格を持つ、という意味で、嘉靖年間後半期(一五五〇年代)の江南における倭寇退治を描き、浙直総督胡宗憲の顕彰という性格を持つだろうと推定される原・倭寇図巻と、いわば対をなすものである。この絵巻の詳細と性格については、やはり二〇一三年四月実施の国際研究集会で中国側から報告された。
以上の成果は美術史・明代史・日本史を専攻する研究者が一堂に会して、史料の前でそれぞれの知見を交し合い、また共同研究員のネットワークを通じて、さらなる研究者の参加や新たな知見を得られたことにより、実現したものである。学際的共同研究の威力が存分に発揮されたと感じている。
【2011年度】
(1)課題の概要
本所所蔵「倭寇図巻」は16世紀倭寇のイメージを具体的に描いた絵巻として夙に知られている。一方、中国国家博物館には「抗倭図巻」と名付けられた絵巻が所蔵されており、他にも倭寇を描いた複数の絵画史料が所蔵されているとのことである。本研究では、中国国家博物館の許可と協力を得て、第一に「抗倭図巻」と「倭寇図巻」の調査・分析をすすめ、二つの絵巻を比較検討して、その史料的性格を明らかにしていく。第二に、国家博物館が所蔵する倭寇関連の絵画史料の調査をすすめ、近世中国において「倭寇」がいかなるものとして記憶されたのかという問題について検討する。
(2)研究の成果
各史料調査や三回の研究会・国際研究集会を通じて、第一に「倭寇図巻」と「抗倭図巻」は、モチーフが同じで図柄も類似点が多い一方、画を構成する要素にかなりの相違がみられ、両者を単純な親子関係とみなすことはできないことが明らかになった。また「抗倭図巻」と大変よく似た図柄を持つ「胡梅林平倭図巻」という、新たな倭寇図巻の存在を示す文献史料が発見された。以上の事実は、明代後期、原・倭寇図巻とも言うべき絵巻が描かれ、その模本が江南の工房で多く作られ独自に発展したのであろうこと、そのうち現在に伝わったのが「倭寇図巻」・「抗倭図巻」であり、「抗倭図巻」の系統に属するものだが現存せず、内容だけが伝わっているのが「胡梅林平倭図巻」であることを示している。すなわち「倭寇図巻」は東アジアの孤本ではなかったのであり、さらには第四、第五の倭寇図巻の発見の可能性さえ出てきたことになる。第二に倭寇図巻に限らず、明代において多様な倭寇図が描かれていたことが判明した。7月に調査した中国国家博物館所蔵「太平抗倭図」は太平の街を襲った倭寇を、民衆と明軍、そして関羽が撃退するさまを描いた約2メートル四方の巨大な図であるが、掠奪のシーンが詳細に描かれるほか、倭寇がみな扇子と日本刀を持っており、扇子と日本刀が倭寇を示す記号になっていることがうかがえる貴重な図であることが明らかになった。また明の官僚が自分の功績を誇るために描かせた図のなかに、倭寇退治の図も含まれていることが確認された。この図の倭寇も扇子と日本刀を持っている。「倭寇図巻」はこうした様々な倭寇図のなかでその性格を検討されるべきものであり、これら倭寇図は近世中国における倭寇イメージを考える上で貴重な手がかりとなりうるものである。以上の成果は美術史・明代史・日本史を専攻する研究者が一堂に会して、史料の前でそれぞれの知見を交し合い、また共同研究員のネットワークを通じて、さらなる研究者の参加と新たな知見を得られたことにより、実現したものである。学際的共同研究の威力が存分に発揮されたと感じている。
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