【2015年度】
(1)課題の概要
天正3年(1575)5月に織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍が戦った長篠合戦は、本格的に鉄炮を用いた合戦として日本史上有名である。この戦いについては、文書のほか、合戦に参加した武士たちの覚書、系譜史料、軍記物語などの文字史料にとどまらず、合戦屏風・合戦図などの画像史料も豊富に残されている。近年ではこれらの史料にもとづいた研究も少なからず発表され、また、長篠合戦において旧来定説となっていた信長・家康軍による鉄炮の「三段撃ち」が実際におこなわれたかどうかをめぐり、大きな論争的問題にもなった。本共同研究は、これら合戦関係史料についてジャンルを問わず広く収集し、相互に関連づけながら検討することによって長篠合戦の具体像を明らかにする。
(2)研究の成果
前年度来継続中の長篠の戦い関係文献調査では、今年度は臼杵藩稲葉家・鳥取藩池田家・鶴岡藩酒井家の伝来史料の調査をおこない、関係史料の収集に努めた。また海外に所在する記録類について、所外研究者谷口央がアメリカ・カリフォルニア大学バークレー校に赴き、徳川家関係の記録の新出写本について調査することにより、徳川家および長篠の戦いに関係するこれまで知られていなかった史料を多く見いだすことができた。
合戦図屏風については、これまでの調査の蓄積を前提に、あらためて犬山城白帝文庫所蔵の長篠合戦図屏風熟覧をおこない、参加者間での情報共有をはかった。また、代表者金子が、前年度までにおこなってきた東京国立博物館所蔵長篠合戦図屏風についての論文を執筆し、その制作経緯・注文主などを明らかにしたうえで成立時期を推測し、他の長篠合戦図屏風との図像比較をおこなってその特色を指摘した。
成果の公開としては、高校生・一般向けの授業・講演会において、共同研究の成果を話したほか、6年間続けてきた共同研究の成果を報告するシンポジウムにおいて、各共同研究者がこれまでそれぞれが行なってきた調査研究の成果を話し、討議することにより、より地域(長篠古戦場)のあり方をふまえた新たな長篠の戦い像が鮮明となり、これまで疑問に思われていたような点のうちのいくつかに解決の糸口が見えてきた。
【2014年度】
(1)課題の概要
天正3年(1575)5月に織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍が戦った長篠合戦は、本格的に鉄炮を用いた合戦として日本史上有名である。この戦いについては、文書のほか、合戦に参加した武士たちの覚書、系譜史料、軍記物語などの文字史料にとどまらず、合戦屏風・合戦図などの画像史料も豊富に残されている。近年ではこれらの史料にもとづいた研究も少なからず発表され、また、長篠合戦において旧来定説となっていた信長・家康軍による鉄炮の「三段撃ち」が実際におこなわれたかどうかをめぐり、大きな論争的問題にもなった。本共同研究は、これら合戦関係史料についてジャンルを問わず広く収集し、相互に関連づけながら検討することによって長篠合戦の具体像を明らかにする。
(2)研究の成果
前年度来継続中の文献調査では、紀伊徳川家の由緒書および阿波蜂須賀家の由緒書の調査をおこない、ほぼ調査を終えた。
長篠合戦に関わる一次史料を含む文書群であり、かつ織田信長の発給文書を多く含む細川家文書のうち、前年度おこなった熊本大学附属図書館寄託分以外の文書について、東京永青文庫において写真撮影、および紙質調査をおこない、信長発給文書について料紙の面から研究を進めるうえでのデータを蓄積することができた。
合戦図屏風については、主要な屏風のうち未調査だった平戸松浦史料博物館所蔵本の熟覧調査をおこない、ほぼすべての屏風を所内研究者・所外共同研究者複数で熟覧し終えた。
10月に熊本県立美術館において研究会を開催し、文献史料・画像史料両面においてこれまでのおこなってきた調査の成果を報告し、共同研究者相互の情報共有をはかった。また研究代表者金子が、熊本県立美術館および長篠城址史跡保存館にて講演をおこない、これまでの研究の成果を一般市民に報告した。
【2013年度】
(1)課題の概要
天正3年(1575)5月に織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍が戦った長篠合戦は、本格的に鉄炮を用いた合戦として日本史上有名である。この戦いについては、文書のほか、合戦に参加した武士たちの覚書、系譜史料、軍記物語などの文字史料にとどまらず、合戦屏風・合戦図などの画像史料も豊富に残されている。近年ではこれらの史料にもとづいた研究も少なからず発表され、また、長篠合戦において旧来定説となっていた信長・家康軍による鉄炮の「三段撃ち」が実際におこなわれたかどうかをめぐり、大きな論争的問題にもなった。本共同研究は、これら合戦関係史料についてジャンルを問わず広く収集し、相互に関連づけながら検討することによって長篠合戦の具体像を明らかにする。
(2)研究の成果
2013年5月に開催した研究会では、長篠合戦の研究を進めるうえでの比較材料として、上杉家が関わった合戦について、文書・覚書・由緒書、合戦図屏風などを用いた研究報告をおこなうことで、共同研究者相互の情報共有をはかった。また研究代表者金子が米沢市上杉博物館において公開講演会にて成果の一端を報告した。
また、本年度はあたらしく徳島大学附属図書館において蜂須賀家家臣の由緒書の調査を開始し、これまでと同様長篠合戦前後の合戦についての記事収集をおこなった。
長篠合戦に関わる一次史料を含む文書群であり、かつ織田信長の発給文書を多く含む細川家文書について、信長文書を中心とした写真撮影、および紙質調査をおこない、信長発給文書について料紙の面から研究を進めるうえでのデータを蓄積することができた。
合戦図屏風については、東京国立博物館所蔵・豊田市所蔵の二点の長篠合戦図屏風を熟覧した。とくに東京国立博物館所蔵屏風(下絵)については、長篠合戦図屏風の典型である犬山城白帝文庫所蔵の屏風(成瀬家旧蔵)とは大きく絵柄が異なる点注目すべき屏風であり、これを制作したとみられる江戸幕府奥絵師木挽町狩野家にかかわる文献史料と合わせ検討することにより、制作経緯などのおおよそがわかることもあって、今後史料編纂所において模写制作を前提とした詳細な調査を進めることとなった。
【2012年度】
(1)課題の概要
天正三年(一五七五)五月に織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍が戦った長篠合戦は、本格的に鉄炮を用いた合戦として日本史上有名である。この戦いについては、文書のほか、合戦に参加した武士たちの覚書、系譜史料、軍記物語などの文字史料にとどまらず、合戦屏風・合戦図などの画像史料も豊富に残されている。近年ではこれらの史料にもとづいた研究も少なからず発表され、また、長篠合戦において旧来定説となっていた信長・家康軍による鉄炮の「三段撃ち」が実際におこなわれたかどうかをめぐり、大きな論争的問題にもなった。本共同研究は、これら合戦関係史料についてジャンルを問わず広く収集し、相互に関連づけながら検討することによって長篠合戦の具体像を明らかにする。
(2)研究の成果
二〇一一年度から二〇一二年度にかけ実施した中津城所蔵奥平家史料の調査により、長篠の戦いが奥平家のなかでいかに記録されていったのかが明らかになりつつある。これら奥平家史料の調査は、前年度共同研究の成果も含め、二〇一二年一〇月から一一月にかけて愛知県新城市設楽原歴史資料館にて開催された展覧会「奥平展―長篠から中津へ」への協力をおこなうことで公開していった。この展覧会においては、一一月三日に研究代表者金子が、同一〇日に分担研究者谷口が公開講演会をおこない、成果を一般に報告した。また本年度まで三ヶ年の共同研究の経緯と成果について、二〇一二年一〇月に開催された史料編纂所共同利用・共同拠点研究集会「日本史史料共同研究の新たな展開」において金子が口頭報告をおこなった。また本年度の経費において、史料稿本天正三年五月二十一日条(長篠の戦い当日)収録史料の入力を終え、「大日本史料総合データベース」にフルテキストデータとして搭載した。
【2011年度】
(1)課題の概要
天正3年(1575)5月に織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍が戦った長篠合戦は、本格的に鉄炮を用いた合戦として日本史上有名である。この戦いについては、文書のほか、合戦に参加した武士たちの覚書、系譜史料、軍記物語などの文字史料にとどまらず、合戦屏風・合戦図などの画像史料も豊富に残されている。近年ではこれらの史料にもとづいた研究も少なからず発表され、また、長篠合戦において旧来定説となっていた信長・家康軍による鉄炮の「三段撃ち」が実際におこなわれたかどうかをめぐり、大きな論争的問題にもなった。本共同研究は、これら合戦関係史料についてジャンルを問わず広く収集し、相互に関連づけながら検討することによって長篠合戦の具体像を明らかにする。
(2)研究の成果
本年度は研究会を1回開催し、2010年度以降の共同研究における調査にもとづく研究報告(谷口央氏)をおこない、メンバー相互の情報共有をはかった。また「長篠合戦図屏風」のなかでももっとも著名な犬山城白帝文庫所蔵屏風について白水正氏の概要報告とともに、これを熟覧し、これまで調査をおこなった各屏風との比較検討をおこなった。
また、長篠合戦と深くかかわる鳥居強右衛門を描いたとされる史料編纂所所蔵「落合左平次道次背旗」について、その史料的性格を検討するため、旧蔵者であった落合家を訪れ、現在も同家が所蔵する旗指物、および同家に伝来する文書・系図などの史料について、調査・撮影をおこなった。旗指物については傷みが激しく、共同研究に参加する博物館学芸員のご協力を得て、これらを披見することが可能となった。この調査により、「落合左平次道次背旗」の成立と伝来について、おおよその筋道を推測することが可能となったことは大きい。この成果は金子が論文(「落合家所蔵の旗指物と「落合左平次道次背旗」」)として公表した。
日本中世史の研究者にとどまらず、同近世史の研究者、美術史の研究者、国文学の研究者などさまざまな分野の研究者が参加するだけでなく、博物館所属の研究者が参加することにより、文献史料以外の合戦図屏風・旗指物などモノ史料の調査を綿密・円滑におこなうことが可能となった。また、共同研究員のネットワークを通じて、このテーマに関心を持つ研究者のさらなる参加を得ることができ、共同研究として行なうことがたいへん有益であったと考えている。
【2010年度】
(1)課題の概要
天正3年(1575)5月に織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍が戦った長篠合戦は、本格的に鉄炮を用いた合戦として日本史上有名である。この戦いについては、文書のほか、合戦に参加した武士たちの覚書、系譜史料、軍記物語などの文字史料にとどまらず、合戦屏風・合戦図などの画像史料も豊富に残されている。近年ではこれらの史料にもとづいた研究も少なからず発表され、また、長篠合戦において旧来定説となっていた信長・家康軍による鉄炮の「三段撃ち」が実際におこなわれたかどうかをめぐり、大きな論争的問題にもなった。本共同研究は、これら合戦関係史料についてジャンルを問わず広く収集し、相互に関連づけながら検討することによって長篠合戦の具体像を明らかにする。
(2)研究の成果
研究会を3回開催し、共同研究員多数の参加を得て、口頭報告にもとづく質疑、また長篠合戦図屏風の熟覧、長篠合戦に関係する「落合左平次背旗」の熟覧をおこなうことにより、長篠合戦研究、および長篠合戦図屏風研究などに関する現在の到達点と問題点について、情報の共有をはかることができた。
異なる立場の研究者複数名が参加して調査を実施することにより、長篠合戦を中心とした合戦関係文献史料の効率的な収集をおこなった。紀伊徳川家・榊原家・奥平家の史料調査により、これまで把握されていなかった長篠合戦参加者の記録を見いだすことができた。
日本中世史の研究者にとどまらず、同近世史の研究者、美術史の研究者、国文学の研究者などさまざまな分野の研究者が参加し、また大学教育機関所属の研究者だけでなく、地域の研究者、博物館所属の研究者などが参加することにより、研究に多様な視角があることを認識することができた。また、共同研究員のネットワークを通じて、このテーマに関心を持つ研究者のさらなる参加を得ることができ、共同研究としておこなうことがたいへん有益であったと考えている。
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