東京大学史料編纂所

2014年度に実施された一般共同研究の研究概要(成果)

一般共同研究 研究課題 島津家本吾妻鏡の基礎的研究

研究経費 48.5万円
研究組織
研究代表者 髙橋秀樹(文部科学省初等中等教育局)
所外共同研究者 村井章介(立正大学)
藤本頼人(青山学院大学)
所内共同研究者 井上聡
遠藤珠紀
研究の概要 (1)課題の概要
島津家文書として国宝に一括指定されている東京大学史料編纂所所蔵の島津家本吾妻鏡は、新訂増補国史大系本の対校本に用いられて以来、ほとんど利用されていない。そこで、この研究では、毛利家本・北条本・吉川本ほかの諸本との異同確認などの基礎的な調査を行い、島津家本の伝本としての性格を明らかにする。また、江戸時代には一部が『東鑑脱漏』『東鑑脱纂』の書名で版行されたことが知られるが、現存の島津家本の目録には明治期の押紙が残されているものの、本文には書き入れ等の利用の痕跡がほとんどない。『島津国史』『通俗国史』などの編纂著作を行っていた近世・近代の島津家が、この吾妻鏡を利用していたのかを、島津家文書等の関係史料から探ることで、島津家本吾妻鏡のあり方を考察する。

(2)研究の成果
島津家本吾妻鏡自体については、薩摩藩で編纂された史書・系譜類での利用状況を調査した。引用されている吾妻鏡はいずれも板本系であるが、板本に欠落している嘉禄元年~安貞元年について、19世紀初頭成立の『島津国史』が「島津氏蔵東鑑」からの引用を注記し、明暦年間に原型が成立したとされる「新編島津氏世録正統系図」でも、忠久晩年(嘉禄年間)の記事が島津本の構成に合致する「東鑑廿六巻」を典拠とし、文面も島津本と一致することが確認された。これに先行する『寛永諸家譜』では参照された形跡はないが、遅くとも17世紀半ばの段階では、島津本が板本の不足を補うものとして藩内でも利用されていたと考えられる。
吾妻鏡諸本については、島津久光旧蔵本である鹿児島大学附属図書館所蔵玉里文庫本『東鏡』84冊が未知の漢文本に依拠した仮名本で、これまで知られていなかった逸文を有することが昨年度の調査で判明したことから、これの類似本とみられる八戸市立図書館所蔵南部家旧蔵本『東鏡』83冊の調査を先ず行い、その結果を踏まえて、玉里文庫本の再調査を行った。玉里文庫本は1頁9行と10行の冊が取り合わされているのに対して、南部本は全冊9行で写されている。9行の冊はほぼ同文であるが、南部本が9行、玉里文庫本が10行で写している冊はまったく異なる本文であった。9行冊には吉川本でしか知られていなかった記事が含まれているが、10行冊はこうした記事はなく、北条本に近い漢文本が利用されたようである。玉里文庫本の9行冊と10行冊では筆跡が異なっており、時期的には近接しているものの、異なる人々によって書写されたとみられる。
豊橋市立美術博物館森田家文庫の『東鑑』1冊は、江戸時代初期の書写にかかる建久四・五年記の抄出本で、学習院大学所蔵の平瀬本と類似点が多い同系統の本であることがわかった。
天理大学附属天理図書館吉田文庫の『吾妻鏡』1冊は、養和元年3月1日条後半から寿永元年2月2日条前半までの零本で、筆跡・料紙という点からも、養和元年3月1日条後半からが失われている史料編纂所所蔵の巻二零本の後欠部分そのものであることが判明した。また、同文庫の『寛喜三年記』は『吾妻鏡』の同年記であり、清原元定の署名や表紙・法量などが、史料編纂所所蔵の清元定本4冊と共通である。これらの点から、史料編纂所が昭和25年に弘文荘から購入した2種計5冊の『吾妻鏡』が吉田家旧蔵本であることが判明した。弘文荘の反町茂雄が吉田家の蔵に入って、めぼしい物を買い取ったのが昭和24年であるから、時期的にも適合する。同図書館所蔵の52冊本は勝海舟旧蔵の江戸時代初期の本で、漢文体の完本と、一部仮名交じりの抄出本との取り合わせ本である。仮名の文体は南部本や玉里文庫本とも異なるもので、元の漢文の語順を日本語的な語順に直し、助詞を仮名で補っている程度の仮名文である。その仮名文から平仮名の助詞を落とすと、島津家本・毛利家本・北条本に数巻見られるやや異様な文体ができあがる。勝海舟旧蔵本の後半は閲覧不可であるために、該当巻の検証はできなかったが、仮説としては十分に成り立つだろう。なお、『国書総目録』には黒川真頼旧蔵51冊本が天理図書館所蔵として掲げられているが、同館には存在していないことが確認できた。
『吾妻鏡』に題材をとった絵画として『看聞日記』などに登場するものの、実際の絵画としてはほとんど知られていない『和田合戦図屏風』が、島津家の支藩だった都城に現存していることがわかり、その調査も合わせて行った。今回の調査で、これまで所在不明とされていた左隻を含む模写が存在することが判明し、左右一双の『和田合戦図屏風』の画面構成を初めて明らかにすることができた。

一般共同研究 研究課題 徳大寺公城日記および関係史料による宝暦事件の研究

研究経費 38.8万円
研究組織
研究代表者 藤田 覺(東京大学)
所内共同研究者 山口 和夫
研究の概要 (1)課題の概要
宝暦事件の研究は数多いが、中心人物の一人徳大寺公城については、従来1904年作成の謄写本「徳大寺公城手記」(日記の抄録)が利用されるに留まっている。
東京大学史料編纂所が1954年に購入し、1990年代に整理して公開した特殊蒐書「徳大寺家史料」のなかには、長期間にわたる自筆日記「公城卿記」28冊(寛保3年~天明2年)があるものの、虫損等のため現在まで閲覧に供されていない。
宝暦事件の研究を深化させるには、徳大寺公城とその周辺の学問、および竹内式部らとの関係などを具体的に明らかにすることが求められている。本研究では、そのための基本史料であるこの日記を詳細に調査し、可能なものから撮影・読解することにより、宝暦事件との関係を究明するとともに、目録調書や撮影画像等を研究資源として公開する。
あわせて、公城が作成した諸写本や書状案(「徳大寺家史料」など史料編纂所の所蔵分)、関西地方に分散・伝存する徳大寺家旧蔵史料や菩提寺の金石文等をも調査・撮影・研究する。さらに、宝暦事件関係の文献目録も作成する。

(2)研究の成果
本共同研究は、徳大寺公城の日記で、史料編纂所蔵の「公城卿記」を中心にして、同所蔵の特殊蒐書徳大寺家史料、さらには各地に分散して伝存する徳大寺家関係史料を通して、宝暦事件を政治史的に再検討することを目的としている。
取り上げるべき論点は、①徳大寺公城と竹内式部の関係、②公城と「垂加神道グループ」の公家たちの関係、③公城らによる桃園天皇への日本書紀の進講などである。本年は①について、日記の記述と、徳大寺家史料に含まれている公城書写の神道書や著作、さらには、各地に分散して伝存している徳大寺家蔵書から明らかにすることを課題とした。
1「公城卿記」からの検討
徳大寺公城は、上級公家の子弟らしく、まず儒学を堀七左衛門と堀正蔵、音楽を辻則長(右近将監、下野守)、和歌を香川木工丞から徳大寺邸において月に数回ずつ学んでいる。竹内式部から教授をうける初見は、延享3年(1747)1月19日条の「竹内式部来、日本紀講尺、今日依講尺始令浴聴聞了」である。これ以降、月に三、四回ほど、徳大寺邸において定期的に教授をうけ、宝暦8年(1758)まで続く。その講義は、基本的には『日本書紀』と『孟子』で、「神拝奉幣」「中臣祓」などの神道祭式の伝授や神道書の講義も受けていたことを「公城卿記」から確認できた。つぎには、公城と式部の一対一の関係ではなく、公城と公家たちが集団で垂加神道を学ぶ、いわば「垂加グループ」の形成過程と、竹内式部の公家たちへの浸透過程が明らかにされるべき課題となり、その解明には、「公城卿記」がもっとも有効な史料でありその詳細な読解を進めることが重要であることを確認できた。
2徳大寺家蔵書の検討から
徳大寺家の蔵書から、公城の思想形成と竹内式部の関係を検討することを課題とした。史料編纂所蔵の徳大寺家史料のなかに、公城が筆写した垂加神道関係と思われる書物が32冊(上・下などを2冊と計算)伝存し、年次別では、延享3年5冊、寛延元年(1748)1冊、同2年1冊、同3年3冊、宝暦元年17冊、同2年2冊、同3年3冊である。その奥書などから、山崎闇斎…式部→公城、正親町公通…玉木正英→式部→公城、玉木正英→式部→公城、式部→公城、などいくつかの系統のものが混在している。しかし、梅宮神社の橘家に伝わったとされ、その子孫と自称した同社神職の玉木正英が提唱した橘家神道の著作がもっとも多い。公城には、玉木正英―竹内式部と続く橘家神道説の影響が考えられる。公城らが御所内で武芸の稽古をしていると噂されたのは、おそらく「橘家神軍之伝」のような橘家神道の「兵法」を学んでいたからではなかろうか。
3徳大寺公城の著作から
書写ではなく、徳大寺公城の著作とすべきものがある。奥書に「正月6日(宝暦8年)の夜、ともし火をかゝけて公城謹書」と記された「事君弁」、桃園天皇への日本書紀進講と関わる宝暦6年の「神代巻講義筆記 全」、天皇への進講ノートというべき宝暦8年の「進講筆記」(内題は「日本書紀進講筆記」稿一・二・三の3冊。稿一には、宝暦7年9月2日に「始功」、稿三の奥書に「宝暦八年四月 終草稿之功了」と記載)がある。
以上が、史料編纂所蔵徳大寺家史料の徳大寺公城の書写本と著作に関して明らかにできた事実である。今後、その書写本と山崎闇斎・玉木正英・竹内式部の著作との関連、および公城の著作の記述内容についての検討、そして、各地に分散して所蔵されている徳大寺家の史料、とくに書物(刊本・写本)のなかから、垂加神道、橘家神道、玉木正英と竹内式部の著作を探すことが課題になると考えられる。

一般共同研究 研究課題 アカデミズム史学の形成と研究資源蓄積に関する史学史的研究

研究経費 48.5万円
研究組織
研究代表者 松沢裕作(慶應義塾大学)
所外共同研究者 高木博志(京都大学)
廣木尚(早稲田大学)
所内共同研究者 尾上陽介
研究の概要 (1)課題の概要
東京大学史料編纂所が、その前身組織の時代も含めてみずから作成した文書・記録の研究を行う。とくに、帝国大学史料編纂掛・史料編纂所時代の公文書を中心とし、それらの整理・分析を通じて、戦前のアカデミズム史学が、いかなる歴史資料を選択して研究対象としたのか、どのような方法によって研究資源として蓄積したのかを検討する。
すなわち、東京大学史料編纂所が現在所蔵する研究資源は、明治政府の修史事業の発足以来、事業の帝国大学移管、史料編纂事業への転換、第二次世界大戦後の国立大学附置研究所化を経て今日に至る、長期間にわたる活動の成果として蓄積されたものであるが、こうした研究資源の形成過程を歴史的な記録・文書によって具体的にあとづけてゆく。

(2)研究の成果
継続的な目録作成作業によって、全435冊からなる「往復」簿冊群の全体像があきらかとなり、当初相手先別に編成されていた「往復」簿冊が、大正期に「甲」「乙」の二系統に整理されること、「乙」系統の簿冊からは出版物の購入にかかわる情報が得られることが明らかとなった。一方、「甲」系統の簿冊の中心を占めるのは史料採訪に関するものであり、両者を合わせて分析することによって、史料の採訪→編纂→出版というフローの両端において、史料編纂事業が外部環境とのあいだで有した接点のあり方を解明することができるという見通しを得た。
また、「修史局・修史館史料」の分析からは、明治前期において史料の採訪を広くおこなうという合意はいまだ存在しておらず、塙史料をベースにした史料稿本の作成が急がれていたことが明らかとなった。
これらが解明される過程においては、史料編纂業務の実態および採訪対象となった史料に関する史料編纂所員の知見と、近代日本における歴史学の社会的機能についての知見および近代公文書史料学的な知見が相互補完的に機能した。

一般共同研究 研究課題 『明月記』の史料学的研究

研究経費 48.5万円
研究組織
研究代表者 渡邉裕美子(立正大学)
所外共同研究者 五味文彦(放送大学教授)
家永香織(白百合女子大学)
櫻井陽子(駒澤大学)
高橋典幸(東京大学)
田渕句美子(早稲田大学)
土谷恵(清泉女子大学)
所内共同研究者 菊地大樹
尾上陽介
遠藤珠紀
研究の概要 (1)課題の概要
『明月記』は鎌倉初期の基幹史料の一つであり、その史料学的検討は重要である。その中で『明月記歌道事』(以下『歌道事』)は、室町時代に一条兼良が『明月記』から和歌関係の事蹟を抜き書きしたものである。現存する自筆本『明月記』やその他の写本類に見られない記事を多く含むが、その研究についてはほとんど手が付けられておらず、拠るべき本文も不明である。そこで本研究では、まず『歌道事』の現存諸本を調査し、それぞれの伝来状況や伝本系統を明らかにし、校本を作成することを目指した。また、『歌道事』巻頭の文治四年から正治二年にかけての重要な時期の記事の注釈を行い、その内容を検討するとともに、抄出記事の特徴や抄出方法などについて考察した。こうした検討は『明月記』全体やその他の古記録の検討にも裨益すると考えられる。

(2)研究の成果
まず、伝本についての調査・研究について述べると、『歌道事』を含め、明月記は多数の写本が作成され、流布している。しかしその全体像については、これまでほとんど検討されてこないまま、『続群書類従』巻四七〇所収の文禄五年の奥書を持つ本文が使用されてきた。本研究では、史料編纂所が所蔵する写真帳などを用いて、まず古写本の調査を行い、三条西家旧蔵本・勧修寺家旧蔵本・京都府立総合資料館所蔵本などを見出した。さらに関西大学附属図書館・龍谷大学附属図書館・国立国会図書館・秋田県立図書館・宮城県図書館に赴き、『歌道事』をはじめとする諸写本の調査を行い、一部についてはデジタルカメラによる撮影あるいは紙焼き写真を購入した。これらを比較調査することで、一条兼良の『歌道事』編纂の際の意図を検討した。
また、『続群書類従』本など近世に広く流布した文禄五年奥書を持つ系統の本文について、その祖本が永青文庫本であることが判明した。そのほか近世には『明月記』から独自に記事が増補された本も作成されていたことが判明した。
これらの写本調査の結果、『明月記』の伝来状況や伝本・テキストの性格、後世の享受状況が徐々に浮かび上がってきた。ただし、本文の検討や諸本の調査については、今年度ですべて終えることはできなかった。今後も調査・検討を継続して行うべき課題であると思われる。
また、『歌道事』の記事内容の検討については、共同研究者に加えて一般の国文学・歴史学研究者や大学院生が参加して定期的に研究会を開催し、文治四年記から正治二年記までの輪読を進め、本文テキストの校訂や訓読、注釈の作成を進めた。この際、国文学あるいは歴史学において特に注目すべきトピックについては、より掘り下げた形での研究報告を行った。これらの検討の成果については、『歌道事』の注釈としてまとめるとともに、それに付随する解説や、より発展的に検討した論文として、公刊する予定である。

一般共同研究 研究課題 『隠心帖』を中心とする古筆手鑑の史料学的研究

研究経費 48.5万円
研究組織
研究代表者 久保木秀夫(鶴見大学)
所外共同研究者 別府節子(出光美術館)
小川剛生(慶應義塾大学)
石澤一志(国文学研究資料館)
舟見一哉(文部科学省)
所内共同研究者 末柄豊
藤原重雄
研究の概要 (1)課題の概要
本研究の目的は、第1級の古筆手鑑として知られる『隠心帖』3帖(松下幸之助旧蔵・個人現蔵)所収の古筆切・古文書類を調査し、学術的価値を明らかにし、研究を促進していくことである。各分野の専門家が共同・協力し、意見・情報交換を密にしながら、古筆切・古文書類の徹底的な調査研究を実施していく。撮影済みの精細なデジタル画像、及び史料編纂所に収蔵される膨大な関連史料類を活用し、さらに関連する古典籍・古筆切・古文書類の実地調査も行う。以上を通じ、広く学術利用され得る環境を整え、かつ歴史・文学・美術など他分野にわたる研究成果を出していくことを目指したい。

(2)研究の成果
・現存する他の古筆手鑑との比較によって、『隠心帖』所収の断簡類が、陽明文庫蔵大手鑑、及び、金沢市立中村記念館蔵手鑑のそれらと、少なからぬ関係を有するという見通しが得られた。これは所収断簡類の出処や手鑑自体の編纂過程を検討する上で、有益な判断材料となっていくはずである。
・『隠心帖』をはじめとする古筆手鑑、及び古典籍等の調査研究によって、古典文学研究・書学研究・書誌学研究の側からは、歌集・歌合・歌会・歌学歌論書・平安時代物語、あるいは装飾料紙等々に関する新たな知見が多数得られた。一方、古筆手鑑中の古文書・古記録類については、文学・書学の立場からはとても扱えず、これまで放置せざるを得なかったが、歴史研究者を交えた当該共同研究においては、その専門知識を十二分に活かし、出典・内容・伝来・意義、またツレや関連史料の存在等々を次々と明らかにしていくことが可能となった。例えば後朱雀天皇宸筆文書断簡や、藤原俊成筆『公卿補任』断簡、仁和寺心蓮院旧蔵聖教紙背の院政期書状類、同紙背聖教等々がそうであり、古筆切・古筆手鑑研究における新たな可能性が開拓された。これこそが、専門を異にする研究者が参集した、当該共同研究ならではの研究成果と言うべきである。

一般共同研究 研究課題 史資料原本調査をもとにした『越佐史料』巻七(未刊)の再編成

研究経費 48.5万円
研究組織
研究代表者 前嶋敏(新潟県立歴史博物館)
所外共同研究者 高橋一樹(武蔵大学)
田中聡(長岡工業高等専門学校)
水澤幸一(胎内市教育委員会)
広井造(長岡市立科学博物館)
福原圭一(上越市公文書センター)
田中洋史(長岡市立中央図書館)
所内共同研究者 鴨川達夫
村井祐樹
研究の概要 (1)課題の概要
『越佐史料』は、大正14年(1925)から刊行が開始された、越後・佐渡の古代・中世にかかる編年史料集として知られ、「地方史の金字塔」(黒田日出男『謎解き洛中洛外図』岩波書店)とも評される。しかし、同書は昭和6年(1931)に編集者高橋義彦の死によって巻六(~天正12年)で途絶しており、その後の研究の進展や発掘・発見された史資料から、多くの見直しが必要になっている。また『越佐史料』に引用された史料には、その典拠が明確でないものも複数あるが、それらを明らかにしていくためには、その編集過程を検討すべきである。これらは近代における歴史編纂過程を明らかにすることにもつながる。
平成25年度、申請者らは、『越佐史料』巻七(未刊)を題材に、新潟県佐渡市・山形県米沢市等において、史資料原本の調査および所在状況の確認を行い、同書未採録の未調査資料を複数確認した。そこで本研究では、あらためて同書巻七について、その編集過程を踏まえつつ、以後の研究の進展、史資料の発掘状況等を加えて再編成することを課題とする。

(2)研究の成果
本研究では、『越佐史料』巻七(未刊)該当期間を中心とした史資料原本の調査として、次の古文書群の調査を行い、記録撮影等を行った。本研究で撮影した文書群は以下の通りである。
・佐渡市内調査
 「剛安寺文書」
 「山本文書」
 「大聖院文書」
 「長谷寺文書」
 「妙経寺文書」
・上越市内調査
 「本誓寺文書」
・新潟市内文書調査
 「新潟県立文書館文書」
 「宮文書(新潟県立文書館寄託)」
 「中町文書(新潟県立文書館寄託)」
 「藤野文書(新潟県立文書館寄託)」
 「善照寺文書(新潟県立文書館寄託)」
 「八木孝氏旧蔵文書」
 「新潟市歴史博物館文書」
 ・山形県・福島県内調査
 「結城豊太郎記念館文書」
 「上山城文書」
 「花渕文書」
 「穂保文書」
 「米沢市上杉博物館文書」
 「扇屋文書」
 「塔之坊文書」
本研究においては、あらたに新出の古文書原本を複数確認した。また、これまで写とされてきた書状一通が原本であること等も本調査によって確認できた。なお、たとえば山形県内で確認した旦齋書状二点は、直江兼続の息景明(平八)の病状を示すものであり、兼続の侍医旦齋の役割がうかがわれるものとして注目される。これらの成果により、『越佐史料』をさらに充実した資料集としていくことが可能となっていくものと思われる。
本調査においては、東京大学史料編纂所の情報、新潟県立歴史博物館の調査情報等をあわせて資料所在等を確認し、さらに調査中の聞き取り調査などによって、さらに別の中世文書の所在情報を得た(今回の研究においては未調査)。これらは、本研究を共同研究として実施したことによって得られた成果のひとつともいえよう。

一般共同研究 研究課題 和歌山県北部地域所在中世史料の調査・研究―高野山麓(伊都郡・那賀郡・有田郡)を中心に―

研究経費 48.5万円
研究組織
研究代表者 坂本亮太(和歌山県立博物館)
所外共同研究者 新谷和之(和歌山市都市整備企画課)
藤隆宏(和歌山県立文書館)
所内共同研究者 村井祐樹
研究の概要 (1)課題の概要
和歌山県における中世史料は、1970年代に刊行された『和歌山県古文書目録』や『和歌山県史』(以下『県史』)により、その全貌がほぼ明らかになっている。本研究で対象とする高野山麓地域についても、『県史』のみならず、その後刊行された『橋本市史』『かつらぎ町史』等の市町村史により多くの史料群が把握されている。しかしながら、種々の事情により十全なものではなく、原本調査に至らず、史料編纂所架蔵影写本に拠らざるを得なかったものも多数ある。また『県史』刊行以降に発見された史料も少なくなく、さらには、『県史』刊行後に売却されたり、行方不明になったりしたものもあり、それらの再把握も課題となっている。
以上の様な状況の中で、本課題で対象とする高野山麓地域は、少なからぬ新出文書が確認されるなど、早急に再調査を行う必要のある地域である。そこで、明治・大正期に作成された影写本や、昭和以降に撮影された写真帳等、豊富な複本類を持つ史料編纂所と共同することで、調査を無駄なく、効率的に進めることが可能となろう

(2)研究の成果
本研究の調査成果は以下の通りである。
・京都府京都市調査
 「神護寺文書」→「神護寺文書」は紀伊国北部関係史料を多く含む文書群で、今回は新出史料の調査・撮影を行い、あわせて、寺現蔵文書・流出文書を集成した『神護寺文書集成』刊行の道筋をつけることができた。これは和歌山県側と史料編纂所両者のデータ・資料を持ち寄り統合することによって可能となった。
・和歌山県高野町調査
 「清浄心院文書」
・同県和歌山市調査
 「岡見文書」
 「和歌山県立博物館所蔵文書」
 「同館寄託文書」(栗栖文書・蓮乗寺文書・岡本文書・三船神社文書・極楽寺文書・間藤文書・願成寺文書・崎山文書・高山寺文書)
・同県かつらぎ町
 「短野区有文書」
・同県湯浅町
 「福蔵寺文書」
 「施無畏寺文書」
 「崎山文書」(施無畏寺保管分)
 「明恵上人行状記」
 「衣名八幡神社文書」
以上の和歌山県内文書は、史料編纂所においてはほとんど未撮影であり、関連する書誌データも存在しなかった。また和歌山県立博物館においても、一部を除いて未撮影であり、撮影データを今後の展示・研究・啓発活動に利用できるメリットは大きい。特に「明恵上人行状記」(2種4冊)はこれまでに撮影されたという記録がなく、その効用は大いに期待できるところである。

一般共同研究 研究課題 中世石見領主御神本一族関係文書の調査研究

研究経費 48.5万円
研究組織
研究代表者 佐伯徳哉(島根県立古代出雲歴史博物館)
所外共同研究者 長谷川博史(島根大学)
目次謙一(島根県古代文化センター)
中司健一(益田市歴史文化研究センター)
所内共同研究者 西田友広
研究の概要 (1)課題の概要
石見国在庁御神本氏の流れである福屋・三隅氏に関する史料を、史料編纂所収集の石見地域関係史料から集成し、目録・解題を作成する。また、新たに未活字史料の翻刻・内容検討を行い目録を作成する。これらを通じて、島根県立図書館等に遺されている「三宮岡本文書」などの関係史料謄写本の内容検討をより詳細に行い利用可能性を一層明確にする。

(2)研究の成果
①島根県立図書館所蔵の「三宮岡本文書」謄写本をもとに300点余りの仮目録を作成した。その結果、目録と解題作成のために、「三宮岡本文書」に含まれる100点余りの無年号文書の年代の検討が必要となった。そこで、その比較検討材料として、史料編纂所石見関係史料から福屋氏・三隅氏関係史料を抽出し492点余りの存在を確認した。
②史料編纂所と島根県・益田市職員共同で現地教育委員会の協力も得ながら浜田市三隅町所在の未活字零細史料「三隅二宮文書」40点余りの調査を実施した。昭和58年水害で被災劣化していた当該資料の画像データ(副本)を編纂所の主導により作成できたが、今後、当該文書の内容検討と目録化を進める必要が生じた。

一般共同研究 研究課題 日本におけるフランシスコ・ザビエルの足跡に関する文献・絵画史料の比較検討

研究経費 48.5万円
研究組織
研究代表者 鹿毛敏夫(名古屋学院大学)
所外共同研究者 中島楽章(九州大学)
所内共同研究者 岡美穂子
岡本真
研究の概要 (1)課題の概要
イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが宣教活動のために日本に滞在したのは、1549年8月から1551年11月までの2年数ヶ月であり、この間、ザビエルは、鹿児島、平戸、京都、山口、豊後府内等を訪問した。本共同研究は、この間のザビエルの足跡を、文献史料の記述のみでなく、西欧に残存する絵画史料や版画史料等の内容も考察しながら総合的に検討するものである。
日本におけるザビエルの足跡に関しては、絵画史料として、ポルトガルの画家アンドレ・レイノーゾ一派が描いた3点の連作油彩画(リスボンのサン・ロケ教会蔵)や、ドイツのシェーンボルン伯爵コレクション(ヴァイセンシュタイン城蔵)、スペインのザビエル城等に点在しているが、現地でのキャプションや論説には誤解釈や不統一が少なくない。本共同研究では、河野純徳訳『東洋文庫聖フランシスコ・ザビエル全書簡』(平凡社)その他の文献史料と照合させて、より正確かつ総合的にザビエルの日本行程を跡付ける。

(2)研究の成果
研究費は主にスペイン北部におけるイエズス会関連絵画資料の調査と撮影に使用された。主な調査先は、ロヨラ聖堂と附属博物館、ザビエル城博物館、パンプローナ市立図書館、ドノスティア海洋博物館である。
ロヨラ聖堂と附属博物館は、イエズス会の創設者イグナティオ・デ・ロヨラの故地で、ロヨラに関連する多くの絵画資料や彫像などの展示がある。またロヨラの同僚であったザビエルと共に描かれた絵画も多数あり、これらの美術品の撮影をおこなった。ザビエル城博物館は生誕500周年を記念した2006年に博物館として大規模な改修がおこなわれ、世界各地に残る「ザビエル文化」とも言うべきその痕跡が総体的に理解できる作りとなっている。同博物館では、日本に限らず、ザビエルがその後の歴史に影響を残したアジア地域との関連を中心に展示が構成され、ザビエルの生きた時代と東洋布教の実像が具体的に理解できた。また同博物館には明治期に山口県で製作されザビエル城に寄贈された、ザビエルの日本での行程を描いた日本画、ザビエルの生涯に関するジオラマ等も展示されている。その他、世界各地で描かれた「ザビエル像」のコレクションを実見し、そのイメージの多様性を総合的に理解することができた。パンプローナは旧ナヴァラ王国の中心地であり、その図書館ではナヴァラ地方の文化に関する書籍のみならず、同地出身の歴史的人物ロヨラとザビエルに関する書籍も多く見られた。とくに世界各地のザビエル画を収載した図録と研究の書籍を閲覧し、今後研究の対象とすべき、新たなザビエル画像を見出すことができた。ドノスティア海洋博物館では、バスク地方の精神的支柱である海洋文化と海上交流の歴史に関する展示を見学した。対抗宗教改革の旗手であったロヨラとザビエルを育んだバスクの独自の文化を学ぶという点で非常に有益であった。
調査では、鹿毛の九州の戦国大名に対する知識、中島の明代海上交通に関する知識、岡のキリスト教史についての知識、岡本の室町文化についての知識等を交錯させて、本共同研究を進めるにあたっての具体的な方法についての議論をおこないつつ、各自がザビエル画像について知見を深くし、それぞれの関心に結びつけて研究テーマを掘り下げることができた。

一般共同研究 研究課題 史料編纂所所蔵豊前宇佐郡関係史料の調査・研究

研究経費 48.5万円
研究組織
研究代表者 櫻井成昭(大分県立先哲史料館)
所外共同研究者 村井章介(立正大学)
木村直樹(長崎大学)
平川毅(大分県立歴史博物館)
髙宮なつ美(大分県立歴史博物館)
所内共同研究者 井上聡
研究の概要 (1)課題の概要
史料編纂所には、豊前国宇佐郡(現大分県宇佐市)の歴史を語る中世史料が多数架蔵されている。本研究では、特に宇佐宮の神職家に関わる「益永文書」と宇佐郡の在地土豪に関わる「佐田文書」に焦点をすえ、基礎的な調査ならびに研究を実践する。これらの文書群は、大分県に関わる中世史料のうちでも重要なものであり、当年度は前年度の調査成果を前提に、両文書および関連史資料のさらなる分析を進めるとともに、豊前・豊後地域に伝来する他の史料群と比較・対照することで、両文書の史料的特質を明確にする。あわせてその成果を学界および地域社会に還元するため、大分県立先哲史料館および大分県立歴史博物館を通じて地域の歴史文化に関する情報を発信することを目指す。 

(2)研究の成果
当年度は、950点弱におよぶ佐田家文書の全貌を明らかにするため、文書目録の整備に鋭意とりくみ、掛幅・額装・屏風などの美術品については精密な調書を作成することに注力した。また、佐田家文書には錯簡などもみられ、データ上で原状の復元も試みた。佐田家文書以外の宇佐郡関連史料については、状況確認を行い、破損など劣化に関するレポートを作るにとどまった。5回に及ぶ調査を通じて、佐田家文書については、ほぼ目録の整備を終えるとともに、詳細な調書の作成を完了した。今後、この成果にもとづいて目録を公刊し、史料編纂所閲覧室における利用を促進するとともに、大分県立先哲史料館ならびに大分県立歴史博物館における展示等の諸活動を通じて、調査成果の還元をつとめてゆきたい。

一般共同研究 研究課題 史料編纂所所蔵琉球王府発給文書の基礎的研究

研究経費 47.2万円
研究組織
研究代表者 屋良健一郎(名桜大学)
所外共同研究者 上里隆史(早稲田大学)
麻生伸一(沖縄県立芸術大学)
山田浩世(日本学術振興会(PD))
所内共同研究者 黒嶋 敏
須田牧子
研究の概要 (1)課題の概要
東京大学史料編纂所に所蔵される島津家文書には、多数の琉球王府発給文書が伝来している。とくに1609年の島津侵入事件以前の、いわゆる古琉球期の文書伝来数としては、沖縄県内を含めても群を抜いており、世界的に見て大変貴重な歴史遺産となっている。
この文書原本が持つ豊かな歴史情報のうち、本研究ではとくに使用された印章に着目する。日本国内の文書で花押が多く用いられていたのとは異なり、琉球王府発給の外交・内政文書では印章の使用が常態化していた。その背景には、明をはじめとする東アジア諸国からの影響が想定される。本課題は、こうした琉球独自の文書発給の在り方を史料学的に追求するため、必須の基礎的調査として、文書原本の熟覧と各印章の分析および使用状況の検証を進めていくものである。

(2)研究の成果
本共同研究は、琉球史の研究者と中世日本史の研究者が共同して、古琉球期文書の解析を進めることに大きな意義があり、双方に蓄積されてきた古文書学・史料学の成果を持ち寄って、古琉球期の文書発給の様相について調査検討を進めた。
島津家文書中の古文書原本を熟覧調査した結果、まず、琉球国王が使用していた「首里之印」に2パターンあることが確認された。また使用例は少ないものの、王府高官である三司官が使用した印章にも時期差を認めることができ、「首里之印」の変遷と合わせて、琉球王府発給文書の時期的な位相を解明するための大きな手掛かりを得た。ほかにも、継目裏に王府高官の私印の使用例があるなど、原本を精査したことによってはじめて得られた知見は多い。
また、1609年の島津侵入事件以後、琉球国王や王府高官も花押を使い始めるが、それら花押の分析は未着手のテーマであり、今回の原本調査によっておおよその傾向を把握することができた。花押使用の問題は、起請文の受容や日本側の書札礼の導入などとともに、琉球王府の文書発給の実態を探る重要な切り口となる。花押や起請文を受容していく国王尚寧・尚豊の時期を、琉球王府発給文書が変容していく過渡期として、発給文書全体のさらなる検証が不可欠であることを痛感した。

一般共同研究 研究課題 里村紹巴関係史料の調査・研究

研究経費 48.5万円
研究組織
研究代表者 鳥津 亮二(八代市立博物館未来の森ミュージアム)
所外共同研究者 鈴木 元(熊本県立大学)
所内共同研究者 金子 拓
遠藤 珠紀
研究の概要 (1)課題の概要
16世紀後半に活躍した連歌師・里村紹巴は、京都を拠点にあらゆる同時代人と交流し、連歌界の第一人者として豊臣秀吉にまで重用されたことで知られる人物である。しかし、従来の紹巴に関する研究は文学史・連歌史の視点からのアプローチが主で、関係する歴史史料を網羅した基礎的研究はいまだ不十分と言わざるを得ない状況である。
よって本研究は、里村紹巴関係のあらゆる一次史料について、史料編纂所所蔵の研究資源・データベースなどを使用して情報を把握し、原本確認可能なものについては実見調査を実施。そして、画像データを含めた史料情報を集積し、分析を加えて編年目録を作成し、公開することを目的とする。

(2)研究の成果
本研究では、多角的な視点から里村紹巴関係史料の情報把握と分析を試みるべく、歴史史料を専門とする研究者と中世連歌作品を専門とする国文学研究者が共同で調査・研究に取り組んだ。こうして、幅広い分野の史料を見渡して、得られた史料情報を統合し、整理・分析を行った結果、2014年度中に1,119点の史料情報を把握することができた。また、東京大学史料編纂所の史料情報資源を調査・活用することで、紹巴発給文書55点の情報を得た。この発給文書のうち46点は従来の研究で全く利用されていない新出史料で、その宛先は公家・寺社・武家・連歌師・能楽師など多方面に及び、これらの調査・分析・活字化を進めることは、歴史学のみならず国文学・宗教史・芸能史などあらゆる分野の研究進展に寄与し得るものと思われる。
一方で、関係史料は予想よりも膨大で、2014年度は関係史料の情報抽出・把握に追われ、当初予定していた一次史料調査が未実施に終わったものもあった。さらに、調査を進める中で、紹巴受給文書や当該期の里村家関係者の史料も多く現存していることも確認でき、紹巴の人物像を立体的に復元するためには、関係史料のさらなる情報集積が不可欠であることも判明した。そのこと自体も重要な研究成果であり、今後の課題としたい。