東京大学史料編纂所

研究種目名 基盤研究(C)
研究課題名 中世文献史料の複合的性格と知識の共有および継承についての研究(15K02826)
研究期間 2015年度~2017年度
研究代表者 本郷 恵子
研究目的 中世社会を知るための文献史料は、大きく古文書・古記録・編著物の三種に分類されており、それぞれが特有の性格を持っている。一方で、記録の中に貼り継がれたり、控えとして写しおかれた文書や紙背文書、発給文書の記録である引付、史書や説話が引用・依拠する文書や記録等、三種の史料は相互に関係しあい、乗り入れあいながら存在している。さらに中世史料が現代にまで伝来する過程には、書写・保管、廃棄や利用等、なんらかの形で史料に営為をほどこす人々の意識や価値観が大きく影響している。このような文献史料の複合的性格に注目し、その具体相を提示するとともに、前近代を通じての情報の管理・継承の方法を考察し、歴史学的視点からのリテラシー論の見通しをつけることが、本研究のめざすところである。
中世社会において、様式・礼節を踏まえ、適切な文体を選んで、体裁の整った文書を作成することのできる人々は限られており、特殊な教育・訓練を受けた層といってよい。一方で、意志や価値を媒介する道具として、文書に対する社会的需要はきわめて高かったと思われる。そのことはすなわち、文書の作成能力や読解能力の有無とは別に、庶民も含めた中世の人々にとって、文書に対する感受性・親和性が内在化していたことを意味するであろう。
本研究では上記三種の史料の分類の、境界が曖昧な部分、重なり合う部分に注目しながら、中世社会における文書や文献の位置・役割を考えていく。
研究実績の概要
  • 2017年度
  • 2016年度
  • 2015年度
【2017年度】
 本研究は、古文書・古記録・編著物の三種の文献史料について、それらが相互に関連しあい、乗り入れあいながら伝来している状況に注目して考察するとともに、それらを書写・保管・利用してきた人々の意識や価値観を明らかにしようとしたものである。文献史料の複合的性格の具体相を提示し、前近代を通じての情報の管理・継承の方法を検討し、歴史学的視点からのリテラシー論の見通しをつけることを目指した。さらに文書の作成能力や読解能力の有無に関わらない、人々の文書に対する感受性・親和性の高さについて考え、中世社会における文書や文献の位置づけ・役割を示すという課題も意識してきた。
 具体的な検討対象としたのは、説話編纂(文学史料)と歴史史料との関係/貴族社会の礼法や書簡作法に関わる故実関係史料の編纂と素材となる史料との関係/日記のなかに記録された文書の性格/複雑な伝来をたどった文書群の事情/国学者による中世史料の写本作成などである。
 最終年度となる2017年度には、以下の内容の報告書をまとめた。まず、「『薩戒記』所載の文書について」として、『薩戒記』応永25年(1418)~永享9年(1437)記までのなかに収録された多様な文書を通覧し、伝来文書から帰納された古文書学的定義とのズレや、それらにあらわれた当該期の興味深い事例を指摘した。また、中山忠親が編集し、中山定親による書写を通じて伝来した『直物抄 第一』の翻刻を行った。さらに、千葉氏の庶流原氏に関係する『原文書』の伝来や、散逸分の所在について検討した。
 『原文書』は、永禄~天正年間(1558~1592)のものが中心だが、なかに上野国の富岡氏の文書が、宛所を切断された状態で多数混在している。原・富岡両氏は、ともに下総結城において結城秀康に召し出され、秀康の移封にともなって、越前福井藩に仕えるところとなった。福井藩士という共通項によって関係を持ち、何らかの事情で、富岡氏が所蔵する後北条氏発給の文書の一部が原氏に移管されたと考えられる。「福井藩」という要素は、近代においても重要であり、同文書群の伝来に大きく関わっていた。
 ほかに今後も調査を継続する課題としては、①京都梅津の『長福寺文書』について、同寺所蔵の『長福寺寺記』所載文書と、現在の散逸状況との照合や伝来の検討、②尾張の国学者である取田(橘)正紹の事績や彼の書写史料の検討がある。
 『長福寺文書』は、各所に散逸しており、おそらく最も状態の悪いものが一括して東京大学文学部の所蔵に帰したと思われる。一方で、武藤山治氏旧蔵の「簡翁思敬像」「用章如憲像」(現在、史料編纂所所蔵)や、松永安左ェ門氏旧蔵「石室善玖墨蹟」(現在、東京国立博物館所蔵、重要文化財)のように、実業家・数寄者のもとに流れた文化財級の作品がみられる。『原文書』でも、その一部だったと推定される文書に、手鑑に貼られて近代の著名な実業家の手を経た一通がある。このように本来の所蔵者からの流出の過程で、史料に、いわば貴賎がつけられる経緯等についても、今後検討してみたいと考えている。
 近世の国学者のネットワークを介した史料の書写や知識の継承は、古代~中世史料の今日への伝来、近代以降の文学・歴史・地理その他の学問の形成に関わる非常に重要な意義を持っている。さらに好事家・実業家等のさまざまな立場の人々の交流や文化財の伝来関係を含めれば、前近代から近代にいたる知の体系の変遷や価値観の変容について、俯瞰的に考察することが可能となるであろう。
備考